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100516_rengejoin.jpgもう何度目になるか分からない高野山。
下界とは比べ物にならない寒さですが、今はシャクナゲが見頃で、町を美しく彩っています。
高野町は町長選の真っ最中。マイクを持ったお坊さんまで載せた選挙カーが、小さな町内を走り回っています。

今回は町のはずれ、真田家ゆかりの蓮華定院の宿坊にお世話になりました。
こちらも「蓮華式生活設計」というタイトルでやっていますので、以前から気にはなっていたのですが。。

実は今回は、2月のインド、デプン・ゴマン巡礼で知り合った樹安兄のご紹介で、蓮華上院の上綱さま(住職)に僧名をいただき、徒弟となるための訪問なのです。不思議なご縁です。

上綱さまは英語が堪能で、法話や瞑想指導も完全バイリンガルで行われるので、宿泊客はとにかく国際色豊か。
3泊の滞在中にも、フランス人、オランダ人、インド人、スイス人。。と様々な国の方が訪れていました。晩の入浴時には日本人は私だけ、という状況に。
廊下に掲示してあったフランス語のミシュランガイドを見ると、三ツ星の「Koyasan」の項目に、「Rengejo-in」の名と、英語完璧、の記述が。。道理で。

高野山を訪れる外国人は、やはり日本文化や仏教への関心が高く、色々と難しいことを聞いてきます。もっと勉強しておかないと、、と思うと同時に、外国人が興味を持つ点にこそ、日本の若い人に仏教を伝えるためのヒントがあるように思ったのでした。

上綱さまからいただいた名前は「寂洋」。
「あなたという海(「洋」)の中に色々な川が流れ込んでくるでしょう。その中には荒れた川もあるでしょう。そんな荒れた川も、あなたの中で静か(「寂」)になるように」。
感動して、ちょっと涙が出ました。

石橋法衣店で法衣を一式揃え、大学での得度習礼(僧侶になる儀式のリハーサル)も無事終了。
同期にも恵まれ、尼僧同士助け合って乗り越えられそうです。

来月には「ただいま」と言って、また蓮華定院の門(いや、くぐり戸かな。。)をくぐるつもりです。

1002_drepung1.jpg2月の終わり、文殊師利大乗仏教会(MMBA)の皆さんとともに、南インドのデプン・ゴマン学堂を訪ねてきました。

カルナータカ州、ムンドゴッドのチベット人居住区。
バンガロールから飛行機で1時間のフブリの街から、さらに車で1時間ほど。
そこにチベット仏教ゲルク派の中心的寺院、デプン寺とガンデン寺があります。
チベットにあった寺は破壊され、亡命僧侶によってこの地に復興されているのです。

3,000人のお坊さんが暮らすお寺の街。
行き交う人はほとんどが赤い法衣のチベット仏教僧。
高野山のチベット版といったおもむきです。

デプン寺の朝は、僧侶たちが経典を暗唱する声と、にぎやかな鳥の声ではじまります。
通りの方ではミルクやパンを売りに来るインド人の声も。

インドの食事といえば普通は3食カレーですが、ここではご飯やチベットの平たいパンに、野菜中心のおかずをいただきます。

今回滞在したのはデプン寺の中のゴマン学堂のゲストハウスですが、デプン寺にはポタラカレッジのラマたちの出身であるロセルリン学堂もあります。

チベットのお寺では、本堂にダライ・ラマ法王の玉座があり、等身大?のパネルが坐っています。建物の最上階には法王専用の部屋があり、いつでも宿泊できるようになっています。

1002_drepung2.jpgチベット人たちは2月14日にロサル(旧正月)を迎えたばかり。ガンデン寺では神変大祈願祭の法要が行われていました。

すぐ近くのサキャ寺では、サキャ派の若い僧侶たちが朝から1日かけて砂曼荼羅を作る様子も見ることができました。

短い滞在の間に、ガンデン座主やゴマン学堂長、前学堂長ケンスル・リンポチェ、まだ若い転生ラマのクンデリン・リンポチェなど、多くのラマとお会いすることができ、とても貴重な機会を得ることができました。
授けていただいたスンドゥ(お守り紐)や数珠、お線香などのお土産で帰りのバッグはいっぱいに。

インドの街の喧騒から遠く、静かで落ち着いた街。
前回のデリー〜バラナシとは全く違ったインド・仏教の旅となりました。

体に優しいごはんとお坊さんたちの祈りで、
心も体も浄化された4日間でした。

#
広島の龍蔵院には、デプン・ゴマン学堂日本別院があり、チベットのお坊さんたちが本物のチベット仏教を伝えています。

初めての印度へ1週間の旅に行ってまいりました。
今回訪れたのは、デリー、バラナシとサールナート、アーグラー、ジャイプール。

インドは怖い、危ない、汚い、カルチャーショックを受ける、とさんざん脅されてきましたが、行ってみれば、親しみやすく、懐の深いアジアの国。日本に対する感情も良いようで、行く先々で親しげに声をかけられます。

【デリー】
世界遺産クトゥブ・ミナールでは、その美しさとスケールの大きさに圧倒。。
しかししかし、ここで注目したいのは、片隅に地味に建っているアショーカ王の鉄柱! 
パーリ語でなにやら刻んであるのも気になりますが、錆びない鉄柱として有名なオーパーツであります。当時の技術ではありえない、オーバーサイエンス。宇宙人が作った、とは思いませんけどね。。

0910_india_train.jpg【バラナシ】
デリーからバラナシへは、12時間の列車の旅。地元のインド人や外国人旅行者と一緒に、3段ベッドの寝台車でガタゴトと向かいます。ひっきりなしにチャイやサモサ売りがやってくるので、食べ物に困ることはなさそうです。

今回ガイドとして一緒に旅してくれたアビ君は、なんとバラナシのヒンドゥー大学でヨガを2年間勉強したのだとか。インド人はヨガを知らないなんて聞いていましたが、都会の若い人でも朝からプラナヤマをやる人がいると聞いて安心。

バラナシでは、いくつかのヒンドゥー寺院に参拝。
ドゥルガー寺院ではバラモンさんが手首に黒い紐を巻いてくれました。女性は左、男性は右なんだとか。チベットのスンドゥも、インドからきているのでしょうね。

0910_india_sarnath.gifサールナート
この旅で一番楽しみにしていたのが、釈尊の初転法輪の地、鹿野苑ことサールナート。
バラナシ市内からは車で30分程度。
現在は公園のようになっている鹿野苑。思ったよりとてもこぢんまりとして、鹿さんの姿もなく、お坊様もチベットとタイの方を数名お見かけしたのみ。

釈尊が説法を行ったという菩提樹の下には、キラキラの法衣をまとったイケメンブッダと五比丘のキッチュな人形が。。その傍らで、ヒンドゥーの少女たちが「ナモー タッセー〜」と、パーリ語で礼拝文を唱えています。ヒンドゥー教では、釈尊もヴィシュヌの化身として、変わりなく祀られているのです。まぁ仏教もヒンドゥーの神様をたくさん取り込んでしまいましたから、お互い様ですね。
思想的には違う所もあるのだけれど、仲良く共存できるのかも、と感じられました。

0910_india_mandara.jpgディワーリー
10月17日はちょうどインドの新年、ディワーリーの日。
バラナシでは街中でラクシュミーとガネーシャの像が売られ、夜にはあちこちで花火の音が聞こえていました。
ホテルの入り口では、床の模様を利用して飾り付け。これはまさしく砂曼荼羅。
西洋的な装飾も、あっというまにインドカラーに。

夜にはガンジス河のほとり、メイン・ガートでプージャーに参列。
様々な法具を使って火を祀るバラモンさんたちの姿に、密教儀礼のルーツを見たのでした。

0910_india_puja.jpg翌朝はガンジス河で小舟に乗り込み、水の上から人々の沐浴を眺めます。
タンクリーナーで舌をゴシゴシしているおじいちゃん。色とりどりのサリーをまとったまま水に入る女性たち。水遊びに興じている若者たち。。
これぞインドという風景ですね。

0910_india_tajmahal.jpg【アーグラー】バラナシからアーグラーへは、また列車でガタゴト。時間通りの発着にインド人もびっくりした模様。
アーグラーでは憧れのタージマハールを。教科書で見たあの建物が目の前に。。大理石の床を素足で踏みしめ、存分に歴史を肌で感じてきたのでした。

【ジャイプール】
アーグラーからジャイプールへは、車で移動。
アンベール城では、タイでもインドネシアでも乗りそこねてしまった象の背中に! けれど、思ったよりも激しく揺れるので、マハラジャが乗るには向いていないような。。
宝石の街といわれるジャイプール。(顔がサキエルに似ていると言う理由で)記念に宝石が入ったガネーシャのペンダントをゲット。

ジャイプールから車でデリーへ戻る途中のこと。たまたま入ったサービスエリアで、インドの人気歌手Kailash Kher とバンドメンバーのグループに遭遇!
行き帰りの飛行機で見た映画「チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ」の主題歌も歌っていたようです。

駆け足で遺跡巡りをした今回のインドの旅。
次回は、ダラムサラやムンドゴッドにチベット寺院を訪ねたいところです。

インドビザの取り方について、ネット上では古い情報ばかりだったので、メモしておきます。

ビザはインド大使館では取れません(2009年10月現在)。
ビザセンターは茗荷谷、お茶の水女子大の向かい側にあります。
http://www.indianvisaatjapan.co.jp/index.jsp

申請受付は9:00 〜12:00 と13:30 〜16:00 。
午前中に申請して、交付は翌日夕方。
午後に申請すると翌々日です。

用意する書類は申請書と4×3cmの写真(裏にパスポートと同じサイン。眼鏡もOK。)を一枚、それとパスポートだけ。
申請書はセンターにもありますが、センターのサイトからダウンロードして書いていけばスムーズです。記入見本もダウンロードできます。
http://www.indianvisaatjapan.co.jp/index.jsp?c=l1
見本には「22. Name, phone and address of two references:日本とインドの連絡先_名前_住所_電話」とありますが、滞在先が決まっていなければ、日本の連絡先を二つでOKです。

センターに着いたらまず整理券をとります。順番が来たらあまり大きくない声で呼んでくれますので、自分で前方のモニターをよく見ておきましょう。
申請料は日本国籍、東京在住の人で1,935円。おつりは用意されていません。本当に。たまたまあればおつりをくれることもあるようですが、「おつり、ありませんよ」と追い返されている人も。小銭がない人は、近くのコンビニでくずしておきましょう。そのわりに、どこにも料金が書いていないので、お姉さんに聞くまで分かりません。

書類に問題がなければ、受取証をくれますので、翌日(あるいは翌々日)以降に取りに行きましょう。


交付時間は17:30〜18:00と、とても限られた時間です。
17:00に行くとすでに長蛇の列。そんなに並ぶの。。?と思っていると、17:15にはもうドアが空き、皆がなだれ込みます。
受け取り時には整理券を取る必要はないので、真っ直ぐカウンターに向かいます。
このとき注意するのが、申請をしたのと同じ窓口に並ぶ事!お姉さんもだいたい同じ人が座ってます。
空いているところに適当に並んでしまって追い返されている人もちらほら。
受取証にも親切に、並ぶべき窓口が小さく書いてありますので、確認しておきましょう。

受け取りのサインをして、名前のつづりやパスポート番号を確認して、完了です。


ビザの取得方法の情報は、旅行会社ですら間違っている場合がありますので、最新情報は自分で確認しましょう。

0811_koyasan1.jpg11月半ば、高野山へ登ってきました。
これで今年四度目、はからずも高野山の四季を見ることになりました。

といっても高野山の冬の訪れは下界より早く、長い。
すでに紅葉の季節も終わりにさしかかり、ところどころに鮮やかな赤を残すのみ。
それでも、四度のうちでも最も観光客でにぎわい、華やかに見えました。

高野山は、弘法大師空海の開いた真言宗の総本山。山の上の仏教都市。
世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部にもなっています。

0811_koyasan4.jpg高野山にはホテルがありません。
宿坊といって、お寺の中に留めていただきます。

私は決まって普門院というお寺にお世話になっています。
ここには珍しく、リゾート地のような洋室の特別室があります。宿坊としてはお高めですが、軟弱な都会者の山への一人旅、唯一ほっとくつろげる場所なのです。

お料理はもちろん精進ですが、品数も多く手が込んでいて、おいしくて満腹になるくらい。
檜風呂で旅の疲れを癒したら、お部屋で写経をすることも。

0811_koyasan3.jpg朝は早くからお勤めに参加し、冷え込むお堂に正座して、住職の背中を見ながら理趣経を聞きます。きのうは作務衣姿でお風呂や食事の世話をしてくれた若い坊主さんたちも法衣を纏って現れると、その厳かな衣擦れの音にどきりとしてしまいます。

帰りにはいつもおみやげをいただきます。毎回違って、小さなお守りだっり腕輪念珠だったり。
優しい関西弁に送られ、心身ともにすっきりと洗われて、お山を後にするのでした。

# お山へはいつも大学院の用事で行くのであまり時間はとれないのですが、毎回すこしずつお寺や名所を回っています。

今回は霊宝館を訪ね、素晴らしい深沙大将像に出会いました。そして、次回こそは学文路の刈萱堂に人魚のミイラを見に行きたい。。

またしてもAmanにいってきました☆
くわしいレポートは後ほど。

amanusa03.gif大人のためのハイクラスなリゾートホテル、憧れのアマンリゾーツ。。敢えて20代のうちに1度行ってしまおうと決め、ついに4泊5日でアマヌサに滞在してきました!

有名リゾートホテルが立ち並ぶ、バリ島・ヌサドゥアエリア。街から離れた丘の上に、アマヌサは静かに立っています。
噂にたがわぬ、息をのむような美しいヴィラと、きめ細かいサービス。。プールサイドに座ればすぐに冷たい水とフルーツがサーブされ、少し部屋を空ければいつのまにか完璧に掃除してくれています。部屋には水とフルーツを切らすことがなく、全員が常にゲストのスケジュールをチェックし、名前と部屋番号を把握しています。

滞在中、いったい何十回「Thankyou」と「Terima kasih」を、「ありがとう」を言ったことかわかりません。どうしてこんなによくしてくれるんでしょう。

高いお金をはらっているから?教育が行き届いているから?

たしかに、彼らはサービスのプロフェッショナル。だけど、アマンにあるのは、マニュアルだけじゃない本当のホスピタリティー。「スタッフ」としてひとくくりにするには、あまりにも暖かく個性的な人々。。

どこでも花が咲き乱れ、実がなり、鳥が鳴いている。
いつでも誰かが音楽を奏で、神を祀り、花を飾っている。

そんな風土だから、そこにいる人はみんな笑顔でいられるんですね。東京にいると、こんなに人に感謝することがなかったなぁ、と、ストレスでとげとげになっていた自分を振り返りました。

amanusa04.gif自分にありがとうの気持ちがなければ、人から言われることもありません。誰も何もしてくれない、と思う前に、自分が何かをしてあげたい。あそこはよかった、と懐かしむより、自分の周りも満たしたほうがいい。


旅に出たら、忘れていたことをちょっと取り戻して、またみんな日常にもどっていくんですよね(゚ー゚*)

※Terima kasih(トゥリマカシ)はインドネシア語で「ありがとう」。

熊谷 惠雲 (vivian)
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