*デザインとアート*アーカイブ

美しくインタラクティブなコンテンツが豊富な英国図書館 British Libraly のサイト。

とくにLearningというコーナーには、文学や歴史、美術などを楽しく学べるFlashコンテンツが満載です。ちょっと重いのが難点ですが。。

その中の Arts & Images の Sacred Book というコーナー。
http://www.bl.uk/learning/cult/sacred/stories/

仏教、ヒンドゥー、イスラム、ユダヤ、キリスト教の聖なる絵本が用意されています。
本のイメージをクリックすると、二つの物語のタイトルが出てくるので、どちらかを選ぶと、なんと、ナレーション付きの動く絵本がはじまります。
古い細密画や写本などを切り抜いて組み合わせた人形劇風で、なかなかのクオリティなのです。

The Elephant and the Blind men British Libraly
例えば、仏教なら「The Elephant and the Blind men」。
5人の盲人が象を触って議論しているのですが、それぞれが別の部分を触っているので全体がみえない。。という、教訓に満ちたお話です。


Rama and Sita British Libraly
ヒンドゥーなら、『ラーマーヤナ』から「Rama and Sita」。ラーマ王子が悪魔ラーヴァナからシータ王女を助け出すお話がざっくり語られます。

History コーナーの Timelines も、面白いコンテンツです。
http://www.bl.uk/learning/timeline/index.html

101007_timelines.jpg
古くはマグナ・カルタから、美しい中世の装飾写本や歴史上の人物の手紙、現代の新聞記事まで、iPadアプリ風なインターフェイスで年代にそってスクロールしながら、ビジュアルにイギリスの歴史を眺められます。
気に入った画像があれば、簡単な説明付きでPDFダウンロードできるのも親切。

こういう人に見せたいコンテンツを見つけると、iPadがFlash非対応なのが残念になります。はやくアプリ化してほしいですね。

ちなみにヨガ関連画像はこちら。
Yoga Gallery
http://www.bl.uk/learning/artimages/bodies/kundalini/gallery/yogagallery.html

img_exhibition_inori.jpg根津美術館「いのりのかたち -八十一尊曼荼羅と仏教美術の名品」展。週末の最終日に行ってきました。

リニューアルしたばかりの根津美術館は、展示室はこぢんまりとしているけれど、ラウンジなどには贅沢に空間を使った憩いの場でもありました。
もちろん八十一尊曼荼羅もとてもすばらしいものでしたが、今回の展覧会でとくに印象に残ったのは、次のようなものでした。


『大威徳明王像』
→根津美術館:大威徳明王像
大威徳明王は、サンスクリット名をヤマーンタカ(死神ヤマを倒す者)、またはヴァジュラバイラヴァ(金剛の畏るべき者)といい、チベット仏教でも広く信仰を集めています。その名の通り恐ろしげな憤怒形に多面多臂の尊格です。
水牛の背に片足を大きく上げて立ち、火炎に包まれて斜め下方に向かうダイナミックなポーズとその憤怒の表情。本来は修法のための本尊であって観賞用ではないのでしょうが、いつまでも見飽きない、躍動感あふれる尊像です。


『十二因縁絵巻』
→根津美術館:十二因縁絵巻
鬼の姿で表現された十二因縁を、中国風の王様が順番に倒していくというストーリー仕立ての、非常に面白い絵巻です。絵巻は日本のマンガの原点とよく言われますが、これはまさにマンガ。キャラクターデザインがすばらしく、愛嬌のある鬼たちがちょっとかわいそうになってしまうくらいです。

『絵過去現在因果経』
→根津美術館:絵過去現在因果経
こちらも絵巻。和風の王子姿のゴータマ・シッダールタが出奔する様子が描かれています。


いずれも鎌倉時代の絵画作品で、民衆の方を向いた、その時代の新しい仏教表現を感じます。現代には現代に合った、新しい仏教芸術が必要なのかもしれません。

急ぎ足で回ったので庭園を散策する時間がありませんでしたが、こんどは和服を着て行って、カフェでゆっくりしてみたいところです。

平日の昼下がり、渋谷Bunkamuraにて行われていた「ルドンの黒」展を訪れた。ひどく暑い日が続き、体調を崩して仕事を休んでいたのだが、いい機会だと思い切って足を運んだ。オディロン・ルドンの黒の作品ばかりを集めた美術展だということで、静かに鑑賞したいと思っていたし、なにより混み合った美術館が好きでなかった。

OdilonRedon_Cyclops.jpg私の中では、ルドンといえば「キュクロプス」であった。大きな一つ目が顔の真ん中でこちらをじっとみつめている巨人。いや、その視線の先にあるのは、かなわぬ恋の相手ガラテアだ。その不恰好な姿と悲しみに似合わぬほどのやさしい色彩に満ちた風景。その中で、そこだけ世界が違うような、モロー風のファム・ファタルの繊細な姿。たぶん、はじめは何か美術の教科書で見たのだと思う。童話の一場面のようで、どこかゆがんだ寂しさがあって、とても好きだった。首をかしげた巨人の優しい顔と、「オディロン・ルドン」の名とその独特な色使いは、私の記憶に刻まれた。

OdilonRedon_Spider.jpg会場の入り口では、あの笑う「蜘蛛」のアニメーションが迎えてくれた。そのほとんどが黒一色の作品で構成された会場。不安をたたえた、いびつな黒の世界。紙の質感と微妙な色が、わずかに温かさを与えているのだと気づく。名前はよく知っていたはずなのに、なんだか知らない画家のように思えた。

異形の怪物と大きな眼球のモチーフは、確かに一貫して何も変わってはいないのだが、一連の黒の作品は「キュクロプス」の色彩世界とあまりにも正反対で、同じ画家の作品とは思えないほどだったのだ。

ルドンの描く怪物たちは、自らが異形であることを知っているように思える。不完全な心と体を悲しみ、受け入れ、そこに姿を現しているかのようだ。そして我々は、人間こそがこの地球上でもっとも不完全で異形であると、気づかされるのだ。

さて、この機会を逃した方も、日本国内で彼らに会うことは可能だ。今回展示された膨大なコレクションは、全て岐阜県美術館の所蔵なのだそうである。


「ルドンの黒 - 目を閉じると見えてくる異形の友人たち」
Bunkamura ザ・ミュージアム 2007年7月28日-8月26日

GustaveMoreau_Salome.jpgモローの絵に初めて出会ったのは、中学の終わり頃と思う。きっかけは覚えていない。サロメであることは確かなのだが、ビアズレーより前であったのか、どうか。渋谷の東急文化村あたりの、世紀末をテーマにした展覧会の中の1点、だったのかもしれない。

そして、私はすぐに「ギュスターヴ・モロー 夢のとりで」という画集を手に入れている。絵はもとより、紙の種類や解説の装飾まで美しくデザインされた本で、それを所有する喜びは大きく、何度も見入ったものである。

この本はモロー選集であると同時に、大岡信氏による評伝書でもあって、モローの人となりから後世の評価まで窺い知ることができるのだが、私の心を捕らえたのは、本の冒頭、繊細な螺旋階段を映した見開きのモノクロ写真と、この言葉だった。「パリ9区ラ・ロシュフーコー街14番地にギュスターヴ・モロー美術館がある。」

当時はまだ海外なんて行ったこともなかった。けれど、フランスのどこかに、この螺旋階段と、モローの幻想的な絵画をたくさん所蔵する、小さな邸宅がある。しかも、モロー自身が望んで自邸を美術館に改装し、未完の作品まであるのだという。

住所までわかっている、ということが、この美術館を急に身近な、手の届く現実の夢にしてしまった。覚えてしまうまで、この住所を眺めた。

高校1年生の夏、沖縄と決まっていた家族旅行にフランス行きを主張し、たぶんヨーロッパに憧れていた父が賛同したのだろう、それはいつのまにか11日間でフランス・イタリア・スペインを廻る豪華ツアーになってしまった。

スケジュールのきっちり決まったパッケージ・ツアーで、自由時間には美術館は開いていない。予定のオルセー美術館をキャンセルし、私たち家族だけが、ラ・ロシュフーコー街へと向かった。
家族はきっと有名なオルセー美術館の方を見たかったのに違いない。けれど私は、予想以上にこぢんまりとした、セピア色の印象の邸宅に、大変満足した。

モロー美術館で手に入れたカタログと縦長のリーフレットは今も大切にしているが、今よく見かえしてみれば、残念なことに、建物の写真は全く載っていないのである。

しかしありがたいことに、時代は変わって、古めかしいモロー美術館にもWebサイトができた。ここに行けば、いつでもカラーで部屋の様子を見ることができる。
ギュスターヴ・モロー美術館

あれから随分時が経った。たしかに自分はここを上ったのだと、夢の出来事のように思い出しながら、高校生だったあの頃に見たのと同じ螺旋階段の写真を眺めて、また憧れを新たにするのである。

041002_pasta.gif簡単に食事をすませたい日、よくパスタをつくります。いろいろな太さや形をそろえておいたり、シーズニングを買っておけば、ちょっと手を加えるだけでいろいろなバリエーションができるし、ほとんどがゆでて和えるだけと簡単。

パスタを人数分はかるのには、いつもPASTA BOOKというものを使っています。穴の開いた3種類のプレートがリングで閉じてあるのですが、穴にパスタを通してそれぞれ1人分、2人分、4人分をはかることができ、組み合わせ次第で、1+2=3人分、4+1=5人分、と、何人分でも対応できる仕組みになっています。

いわゆるパスタメジャーなのですが、よくある穴が並んだプレート型のものとは違い、本のような形にデザインされているのです。計測用の穴もただの丸だけではなく、2人分はハート型、4人分は家の形をしていて、閉じて重ねると一つの絵のようにも見えます。

しかもハートはカップルの、家は家族の幸せな食事をイメージさせますよね。誰かのためにパスタを作りながら、あったかい気持ちになれる。機械的に人数分を計測するだけの道具に、シチュエーションとシンクロするデザインを施すことで、使う人の気持ちまでデザインしてしまう。。

飾っておいても可愛い。でも可愛いだけじゃない。
デザインができることは、見た目だけじゃないんです。

041103_hair.jpg髪を切りました。
もう何年ぶりか、というぐらいの短さです。正直ここまで短くなるとは思っていなかったので、鏡を見ても、「これでよかったのかなぁ。。」と不安になるほどです。

周囲の評判はよく、「そのほうがいいんじゃない?」とまで言ってもらっていますが、本当はもっと長くしておきたかった私としては、複雑な思いもあるのです。

もしかして、いつもこの方がいいと思っている髪型は、周りから見たらそうでもないのかも。。?

かつて斎藤薫さんのエッセイで、"見なれたものが美の基準になる"というお話を読んだことがあります。鏡に映った友人の顔は実際より美しくないように見えたけれど、実は相手も同じことを思っていた、というのです。

合わせ鏡で、鏡に映った姿をさらに鏡に映して反転させると、なんだか自分がいつもと違って不自然に見えたこと、ありませんか? 本当は左右の正しいその姿が、周りの人に見えている自分なのに。。つまり、見なれた姿を正しいと思うようになり、それが美の基準になっていくのです。某図かずおさんの漫画に、自分を好きになってくれない女性を歪んだ家に住まわせて、美意識をゆがめさせる。。という話がありましたが。。ありえない話ではないのかもしれませんね。

自分なりの美の基準やこだわりを持つことはもちろん大事ですが、本当の美しさを手に入れたいなら、自分を客観的に見ることがとても重要です。写真やビデオを嫌う人がいますが、そこに映っているのは、まちがいなく、あなたなんです。よく、アイドルは人に見られるからだんだんきれいになるといいますが、私は、テレビや雑誌で自分を見るようになるからなんじゃないか、と思っています。

人物の絵を描いていて煮詰まってくると、紙を光にかざして裏から見てみることがあります。裏から見ても不自然でなければ、まぁバランスは大丈夫かな、というわけです。客観的な視点が必要なとき、反転してみる、というのは、とても簡単で、劇的な方法なのです。

ひさびさにデザインの話をします。

最近、家具や家電をみる機会がふえました。
デザイン家電などといって、インテリアショップやグラフィックデザイナーのプロデュースする家電がひとつのカテゴリーとしてもてはやされていますが、ちかごろでは、大手メーカーからもおしゃれな家電が普通に出されるようになってきているようです。

“デザイン家電”たちに共通することがあります。
それは、どれもとてもシンプルだ、ということ。

デザインにふくまれるものには、たくさんの要素があります。
機能、主張、感情、引用。。
いろ、かたち、ひかり、てざわり。。

人がイイと思うものはそれぞれ違います。
その違うところは、それぞれの経験だったり、主義だったり、環境だったりします。
でも、シンプルなものが、結局みんながイイと思うものだったりします。

シンプルは「飾りがない」のではなく、「よけいなものがない」のです。
シンプルが美しいのは、必要十分だからなのです。

シンプルはつまらないものじゃない。
「飾らない」をデザインすることが、一番むずかしかったりするのです。

040714_mamc.gif六本木ヒルズ森タワーの最上階に位置する森美術館・通称MAM。

7月14日、美術館会員の新メンバーウェルカムパーティを兼ねた、MAMコンテンポラリーナイト(月に2回ぐらい設定されている、会員だけが入れる日)が開催されました。限られたメンバーだけでMoMA展を見ながら、シャンパンを飲んだり、トークショーを聞いたりする。。という贅沢な催し!友人と二人で行ってまいりました。

今回はエリオット館長とキュレーター金善姫さんのお話を聞くことができました。テーマは「アート&ライフ」。お二人とコンテンポラリーアートとの関わりをいろいろお話しいただきました。

展覧会の内容やエリオット館長のお話についてもいろいろ書きたいのですが、今回はちょっと金善姫さんのお話から感じたことを。

金さんはとても素直でキュートな女性です。トークの中でこんなお話しがありました。
"美術の世界はとても狭くて、美術館に行く人は限られている。海外でもいつも同じ人に会うので知り合いになる..."
なんだかちょっと衝撃を受けました。まぁそれは金さんの人柄もあるんじゃないか?と思いつつも(エリオット館長とも美術館で知り合ったそうです)、今まで美術館をそういうコミュニケーションの場として見ていなかったな、というか。

美術館って出会いの場になりえる場所だったんですね。高岡早紀の♪ミュージアムで出会ったあの人 セザンヌを見てたの?♪("セザンヌ美術館"。。 「le fetiche」より)って歌を思い出しちゃいました。。って、知らないですよね(´-ω-`; )。。

普段あまり美術館とコミュニティの関わりを感じることってないんじゃないでしょうか。美術館の開催するワークショップやトークショーなんかもありますが、美術"館"というより個々の"展"に付帯していて、その場限りで終わりです。今回のパーティだって、知らないメンバー同士で話そう、という感じにすぐにはならない。そういう場として期待されているのかな、ということは感じるんですけども。これからMAMCがコミュニティサイトを作ったり、SNS(Social Networking Service)のようなことをやって人と美術をつなぐ場になっていって、さらに美術館同士をつないでいってくれるといいな。。なんてことを思ったのでした。

美術館での人との出会い。
ちょっと素敵じゃありません?

040706_flower.gif何かを表現しようとしている人なら、「オリジナリティ」という言葉に、何度かつまづいているんじゃないでしょうか。オリジナリティのある音楽。オリジナリティのあるデザイン。オリジナリティのある文章。。

これまでにも何度か他で書いたことがあるのですが、私はオリジナルは自然の中にしかない、と考えています。あたりまえなんですけどね。
デザインにつまったときはいつも、自然の形や色を見るようにしています。植物の形、雲の形、空のグラデーション。形や色の持つイメージは、全て自然の中から発しているのです。いくらデザイン集を見たって、コピーのコピーのコピーしか作ることはできません。そこにあるのはすでにイメージの寄せ集めなんですから。

人が自分の中からだけ引き出せるものがあるとしたら、それはその人の記憶と発想、なのじゃないでしょうか。引用は悪いことではありません。日本には「本歌取り」という由緒あるパクリ(失礼)文化があります。自分が良いと思うものを、人も良いと思うように、ととのえて出してあげるセンスだけが、人がオリジナリティを出せる場所なんじゃないでしょうか。

GREE友達が、ちょっとおもしろいことを書いていました。長いですが引用します。

おつりをもらうとき、店員は必ず「まず大きいほうから」と言い、札を渡してくる。そしてそのあと小銭を渡してくるわけだ。
これなんでなんだろう?

レジで支払いをするとき、小銭だけじゃ払いきれない金額のときはまず札を出す。そして細かいのがあれば小銭を足して支払うっていう順序になる。このとき買い手側の財布は札入れのところではなく、小銭を入れるところがあいているわけだ。なのに店員はさきに札を渡してくる。無理にやろうとすると財布の中の小銭がこぼれちゃうかもしれないので、買い手側はいったん小銭のほうの口をしめなきゃならない。そんで札を受け取って財布にしまうと、間髪いれずに小銭のお返しがやってくる。すると買い手側はあわただしく、また小銭のほうをあけなくてはならない。なんという手間なんだろうか・・・
(貴顕紳士Tomoyukingの雑学日記:
コンビニでおかいもの)

そこで、「起業のネタは日常の諦めている不便利から」に投稿してみました。

自動支払い財布:金額を入力すると、自動的に必要なお札と小銭を出してくれる。「500円玉は貯金するので使わない」「小銭を優先的に使う」などのカスタマイズも可能!!これでもう、レジでもたつくこともありません♪
※注:入ってないものは、でてきません。

言ってみれば、「不便利に合わせた道具のデザイン」です。
(6月14日、「オートマ財布」として採用されました。ありがとうございます〜)

でも、なぜコンビニの店員はお札を先に渡すのでしょう。。??
「1万円札入りまーす」から想像するに、お札は大金なので、先に客に返すべき、ということなのでしょうか。
もし、このことが多くの人の不便利を招いているとしたら、サービスを提供する者は、そこに気遣いをみせるべきなのではないでしょうか?小銭を先に返すことで、レジのやりとりがスムーズになるとしたら?
言ってみれば、「不便利を解消する行動のデザイン」です。
コミュニケーションのデザインと言ってもいいでしょう。

お釣りを返す方法には他に、
 ・お札に小銭をのせて手渡す。
 ・トレーにお札と小銭をのせて、客の好きなように取らせる
というのもあります。
前者は、そのままうまく小銭入れにすべりこませられればいいですが、ちょっとあぶなっかしいですね。どちらかが小銭を落とす場面もよく見かけます。
後者は、小銭が多い場合、一つ一つ拾うのがわずらわしいですね。

一概に「どの方法が良い」とは言えないわけですが、多くの人がスムーズにやりとりできる方法を選択したいですね。客の状況を瞬時に見極めて、臨機応変に対応する店員がいたら、わたしはそのコンビニに行くでしょうね。。これからはコンビニだって五つ星レストラン並のサービスで差別化です!
まぁ、みんなSuicaやEdyで「ぴぴっ」とやっちゃえば一番いいんですが、、今後はそうなっていくのかな。

日常の中で、こんな風に他人とのやりとりでもたついてしまうことは、他にもいろいろ考えられますよね。
たとえば、名刺交換。
両手で受け取るのがマナーですが、先に差し出すのもマナー。大抵はお互いが同時に差し出して、「片手で失礼します。。」と、どっちも「失礼」な人になりつつ、もそもそと交換する。
あーーちっともスマートじゃない!!

カッコイイの基準も変わっていくんですから、マナーもどんどん、新しいものにデザインしなおしていく必要が、あるんじゃないでしょうかね。。??

040521_tea.gif冬も終わりのある日のことです。お茶をいれようとして給茶機の真ん中にカップを置き、左端のウーロン茶のボタンを押しました。

だーっ。
ウーロン茶はカップの外に注がれています。。     Σ(゚Д゚; ) ハッ

そう、この給茶機は、「ドリンクの数だけ注ぎ口があるタイプ」のものだったのです!!
つまり、コップはそれぞれのドリンクボタンの真下に置けばよい。押せばその下に出てくる。最も直感的なインターフェイスとも言え、しかもいつも利用している会社の給茶機であるにもかかわらず、なぜ間違えてしまったのか。。?!

ドリンクサーバーのインターフェイスについて、少し考えて見ましょう。
ファミレスによくあるブルーのコーヒーマシーンを思い出してください。思い出せない人は、見に行ってください。ブレンド、カフェオレ、お湯、などのボタンが並んでいます。カップを置く場所は広く、それぞれのボタンの下におけそうです。。
( ´∀`)つt[]
しかし!実際ドリンクが出てくるのは1箇所(場合によっては2箇所)であり、飲みたいドリンクのボタンの真下にカップを置いてぼーっとしていても、飲めない可能性があるのです!
そんな人が続出するからなのでしょうか。注ぎ口の下にはココに置け!とばかりにガイドが設置され、さらに「カップはココに置いてください!」などの注意書きが貼られています。親切なようですが、ごちゃごちゃとして理解に時間がかかり、未だにボタンを押すときはドキドキしてしまいます。ドリンクサーバーの中では、最も失敗なインターフェイスと言えるでしょう。
ちなみに、コーヒーは1度押したら適量でてきますが、となりのジュースサーバーは押している間だけでてきます。違う動作をするマシンが混在している環境というのもいただけませんね。

それなら、どんな形になっていれば良いでしょうか。。?もちろん、一番いいのはベンダーですね。カップは自動的に正しい位置に設置され、注ぎ終わりも知らせてくれる。が、これは「わかりやすいかどうか」という議論の外なので、除外しましょう。
要は、カップを置く場所を間違えなければいい。カップを置ける場所は1つ。どのボタンを押しても、出てくるのは1箇所。そういうマシン、どこかにあったかな。。?

それは、高速のサービスエリアの給茶機。玄米茶と緑茶と2種がある、あれです。私は冬の間よく高速を利用するので、この置き場に悩まないマシーンに慣れていたんです。だから、違う動作をする会社の給茶機で間違えてしまったんですね。

使い慣れた良いインターフェースは、考えることなく直感的に操作しています。それが、似ているけれど違うものに入れ替わったとき、とまどってしまうのです。ケータイを違うメーカーの端末に変えたとき。Mac版からWin版に移行したとき。まぁどうせすぐに慣れるんですから、全部を同じにする必要はありません。だけど、みんなが慣れた形があるなら、それを生かしたほうがいいですよね。斬新なインターフェイスを考えるなら、従来のものよりわかりやすくなければ、変える意味はないのです。

040426_suica.jpgSuicaでお買い物をしてみた。

Edyと同じ要領です。どうぞー、と言われたら、ピッ、てやる。
どうぞーと言われなくてもピッてできるとよいのですが。
キャンペーンです。と、ペンギンの顔シールをくれます。

ガーン!か、かわいい( -ω-*)!!
。。何のキャンペーンかわかんないけど!!

キャンペーンのシールは、キャンペーン以外のことに使えてもいいんだ。。
応募するほど集まらなくても(そもそも応募するのかもわからないのですが)、貼って楽しい、集めてカワイイ、財布に入れて貧乏くさくない。

他の用途がある。
それ自体かわいい。
ぽいっ、と捨てられない、そんなものをつくりたいですね。

yahoo!毎日使っていたMyYahoo!の辞書が変わってしまいました。。

内容はより詳しくなったように思いますが、検索時に辞書を選択しなくてはならなくなりました。以前はデフォルトが全検索だったので、たとえば英単語を入力して検索すれば、英語の辞書からと、国語辞書のカタカナ語からの候補をいっぺんに表示してくれていました。ところが今度はデフォルトが国語辞書になっているので、単語を入れてそのままエンターを押すと、エラーを返され、検索しなおしになってしまいます。

なぜデフォルトの辞書を変えてしまったのでしょうね。。日本語を検索する人のほうが多かったのでしょうか??全検索のままでは何か都合が悪かったのでしょうか。データが増えすぎたせいでしょうかね。デフォルト辞書を自分で設定できれば、いちばんいいですね。

英辞郎2年ほど前に、オンライン辞書英辞郎(スペースアルク内)がバージョンアップしたことがありました。以前は英和か和英を正しく選択してから検索しなくてはならなかったのですが、自動判別されるようになり、とても使いやすくなっています。

たいした手間ではないのかもしれませんが、毎日何度も行う作業となると、かなりストレスを感じるものです。

私のケータイには指紋認証機能がついています。普段、メールを勝手に見られないようにロックをかけているのですが(別に見られてこまるわけじゃないですが ヽ(゚Д゚;))、解除にはふつう4桁の暗証番号を入力する必要があります。指紋認証ならワンタッチで済むので、楽ですよね。実際はいつも2,3回あてないと認証されないので、もっと認識率がアップすれば、の話ですが。。

いつも何気なく使っているもので、こうだったらもっと使いやすいのに、と思うものはありませんか?
手数を少なく、ストレスなく操作できる方法を考える。インターフェースデザインの、一番難しく、面白いところです。

ゲレンデでみかけた、安全なスノーボーディングを呼びかけるポスター

スタイリッシュな英語のロゴ。どう考えても安全そうじゃない滑りをしているスノーボーダー。っていうか、そこコースじゃないですよね!

言ってることとやってることがぜんぜん違うだろ~~。しかも、メッセージが英語じゃ読み飛ばされる確立高。「+safety」っていう雑誌のPRかと思いました。。ちなみに、黄色と黒の組み合わせは、危険を知らせる色です。
なんでこんなことになっちゃうんでしょうね??横には読みにくい色で書かれた"SMART STYLE"、"イージースタイルで行こう。"などのメッセージが。。なるほど。。。

たぶん要件はこうです。
1)安全なスノーボーディンクを呼びかけたい
2)危険なことがカッコいいと思っている若者たちに、安全なスノーボーダーはカッコいいと思わせたい

解決法はこうですね。
答)安全なスノーボーディングをカッコよく、しかも安全の内容をはっきりと伝える。

それが、「カッコいい」に注目するあまり。。
誤)カッコいいスノーボードのポスターをつくる。そこに安全のメッセージを入れる。

たしかに相反する要素を組み合わせてうまく伝えるのは非常に難しいことです。けれど、見た目に気をとられて伝えたいことがおろそかになってしまっては、何にもなりませんよね。

参考>>design:: 問題を解決する。


半年くらい前からつくりかけでほったらかしだった干支時計。
地味ですが動いてます。

よく見ると、普通の時計の文字盤を干支にしただけじゃなく、忠実に昔の時間を表現しています。一日を十二で割ってひとつひとつに干支を当てはめ、さらに四つに割ったのが一刻だったんですね。しかも子の一から始まってるわけじゃないからややこしい、、。漢字で時刻の表記もでます。なかなか渋いでしょ。
デスクトップのはじっこにでも置いといてみてください。午前午後の本来の意味も感じられるし、残業で遅くなってふと干支時計をみたら、ひ~、今丑三つ時なんだ。。なんてね。。昔の時の流れを感じられるかもしれませんね。

干支時計ダウンロード(ZIP 20KB)
※解凍したファイルはブラウザなどで開いて再生してください

いつも見慣れた時計のかたち。だけど、時ってほんとは目に見えないものですよね。いつもとは違うかたちで、それを視覚化してみる。体験のデザインを手軽にできるのが、Flashのいいところだとすれば(ムダに動かすだけかと思ってましたが、、)もっと勉強してみる価値があるのかな。
これからたまにFlashで作ったおもちゃを公開していくのもいいかなと思ってます。

デザインをする仕事をしていると、かならずぶちあたる
クライアントの壁。

一生懸命デザインして、自信満々で持っていったら
たいした理由もなくあっさりひっくり返された。
一から作り直す。
ムダな稼動が発生する。
モチベーションが下がる。。

よくあることです。

わかってねー!!って悪態つくのは簡単。向こうだって、いつまでたってもろくなの持ってこねー、って思ってるんです。だけどそれじゃいつまでたっても納得のいく仕事なんてできないですよね。

お互いが、共通の言葉をもたないことが問題なんであります。

説得するのか?
相手の意を汲むのか?
合意に達するのか?

いずれにせよ、結局はコミュニケーション不足ってことなんですよね。

デザイナーって何?

というようなことをよく考えています。
これまでも、デザイナーはアーティストではなくて設計師だ、というようなことは何度か述べてきました。
では、何をどう設計するのがデザインなんでしょうか??

それは、あるもの・ことが抱えている問題に対して、外形的に解決策をほどこすことです。

先日のプティザンファンがいい例ですね。
味も値段も悪くないが、売れないパンがある。その味気ない四角い形を、かわいい子供の形にすることで、売れるようになる。さらに、男の子と女の子の2種類を作ることで、みな対で買っていくようになる。ずるいようにも聞こえますが、だましやごまかしというわけではありません。かわいらしいパンで食卓を飾ってみる。子供たちが喜んで食べる。消費者にとっても楽しい生活提案。これが、必要とされる、意味のある、デザインという解決法です。

形とは見た目だけではありません。
コミュニケーションをデザインする。情報をデザインする。人生をデザインする。。
ただ「デザイナー」では、職業としてちょっと漠然としすぎているのがわかりますね。

よく多くの人が思っているように、デザインとは形をカッコよく整えること。ではありません。
デザインには必ず理由があり、意味がなくてはならない。と、私は思っています。

たんなる四角だったら売れなかったかもしれないのに、型で抜いただけでこんなにかわいくなって、売れてしまう。

NIKKEI DESIGNのコピー"売れること。それがデザイン。"というのを思い出しました。
200402261526.jpg

200402061901.jpg昨晩は六本木ヒルズの美術館、MAMにてクサマトリックスの内覧会があり、ひと足お先に体験してまいりました。レセプションはライブラリーカフェのほうで行われましたが、草間彌生氏ご本人もいらっしゃいました。

実を言うと、草間さんの作品はちょっと爬虫類っぽいというか、あの生命感がニガテだったのですが、今回の美術展は面白いですよ!!作品展示という感じではなく、胎内や心の中を旅するような、感じるイベントです。

さらに言うと、MAMの会員になっておきながら、コンテンポラリーアートっていうのはどーーもニガテなのですが、インスタレーションみたいのはけっこう好きなんです。体験をデザインするようなところがありますよね。

MAMオープン以前にここで開催された、スタジオアッズーロ(しかもエルメスプロデュース)の「地中海を巡る旅」も、みたこともないようなインスタレーション満載の展覧会でしたが、これはかなり面白かったです。。物語を体験として見せるっていうのが、共感を得やすいのかな。

会社で行き場を失った熱帯魚の処置について話していたら、クマノミ→ニモ→ドリー→アルツハイマー→消えていく情報、と、どんどん話が発展して、いつのまにかユビキタスな情報のpull & put まで及んでしまいました。私の真後ろに座っている男性が情報デザインに造詣が深く、好奇心も強い人なので、彼と話しているとこういう展開になりがちなのですが。。

さて、今日のお題の中でおもしろかったのが、アルツハイマーの人が、なんでもメモって部屋中にポストイットを貼っている、という話。でもそれって、どれがなんだかまたわからなくなっちゃわないの??「はがれ落ちはじめたやつはもう古いってことだから、、だめかなぁ、そういう情報デザイン。。」

なるほどー。時間の経過によって落ちていく情報。最近はなんでもWebで調べたり、資料もデータを送りあったりするけれど、データが劣化しない、というのがデジタルの利点でもあり、不自然な点でもある。たとえば、あなたが図書館へ、何か話題の新作を読みたいな~と思って行ったとします。どれが新刊で、どれがふる~い名作か、見ればだいたいわかる。変色や壊れぐあい、古くなった紙の匂い。。ところが、Webで本当に有用な情報を得るには、ちょっと経験とコツがいる。もうなくなってしまったお店の情報も、最新の技術情報も、素人がてきとーに書いた文章も、まじめな検証を経た論文も、全て均質にのっかっている。このログだって、日付を改竄するのは簡単。ホントにあたしがこの時間に書いたものなのか、誰にもわからない。。

情報の鮮度がわかるしかけ。アナログの感覚的なところを、デジタルはもっと真似していく必要があるのかな。


熊谷 惠雲 (vivian)
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