2008年、今年は、チベット人たちにとって非常に緊迫した年となっている。 3月にラサで起こった騒乱に始まり、現在もチベットと周辺地域では中国政府との衝突と弾圧が繰り返されている。このような騒動が、中国が満を持して迎えたオリンピックイヤーにあわせるように起こった原因については、専門家によってさまざまな理由付けと解釈がなされているが、チベット内部の正確な情報が得られない現在、推測の域を出ない。「暴動」へのダライ・ラマの関与について、中国政府とチベット亡命政府の見解は大きく食い違ったままだ。しかし、この事件をきっかけに、チベット問題が世界から、近年なかったほどの注目を集めていることは、まぎれもない事実である。
世界各地で、その振る舞いの是非はともかく、チベットにおける人権問題に対する抗議行動として聖火リレーに対する妨害が起こった。日本でも、聖火の出発地となるはずだった長野の善光寺が、リレーへの参加を辞退した。その理由を文化財保護と観光客の安全という表面的な理由だけにとどめず、仏教徒として中国のチベットに対する弾圧を憂慮する、との発言があった(2008年4月18日, 朝日新聞)ことは注目に値する。
チベット人亡命者たちは、彼らの政治的指導者であると同時に精神的指導者でもあるダライ・ラマを慕い、チベット亡命政府のあるインド・ダラムサラを中心に、半世紀にわたって各地で難民生活を続けている。現在も、信仰の自由のない中国支配下のチベットを逃れ、命を賭して国境を越える者が後を絶たない。我々は、チベットにおいて独自に発達した密教文化と、「ダライ・ラマ」という特異な存在に、この力の源を求めざるを得ない。
チベット仏教は、長く海外からも注目を集めつづけてきた。チベットの仏教は、インド仏教を忠実に継承しているとされる。発祥の地インドでは仏教は廃れてしまったが、チベットにはインド仏教の完成系である後期密教が伝わり、失われてしまったサンスクリットの経典を一字一句正確にチベット語に翻訳したものが残っているためだ。明治時代、河口慧海をはじめ多くの日本人僧侶が危険を冒して入蔵に挑んだ理由も、そこにある。秘密仏教という性質と、隔絶された土地柄、さらに19世紀における鎖国政策のために、長い間、外国人から隠されてきたチベット密教。それが今や、祖国を失い世界に散らばったチベット人僧侶や知識人、ダライ・ラマ14世その人によって、広く開示されつつある。
チベット仏教において最も特徴的なのが、「活仏制度」であろう。ダライ・ラマもまた観音菩薩の生まれ変わりとして衆生を救うために転生を繰り返していると信じられており、現在のダライ・ラマは14人目にあたる。しかしそんな伝統ある、信仰の根幹とも言うべき活仏制度も、中国政府の介入によって揺るぎ始めている。活仏の認定には中国の許可が必要であるとし、1989年には、チベット亡命政府の選出したパンチェン・ラマを廃し、中国側の選んだ少年を正式なパンチェン・ラマの生まれ変わりとして仕立て上げてしまった。このままでは高僧が次々と中国政府の息のかかった者に据え変えられ、ついにはダライ・ラマも傀儡になる可能性があるということになる。ダライ・ラマ14世は、次のダライ・ラマは転生ではなく、自分の生きている間に選出される可能性について語っている( 17 October 2007, Voice of America)。つまり、活仏制度そのものの終わりを示唆しているのだ。ダライ・ラマ14世は、亡命政府樹立時から民主化につとめ、憲法に人民がダライ・ラマを廃する権限を盛り込み、政教分離を目指してきた。
ダライ・ラマ14世は、変化をおそれていない。むしろ積極的に近代化を推し進め、新たなかたちで生きていこうとしている。変わらないでいてほしいと思うのは、部外者のエゴだ。
ダライ・ラマは転生を繰り返してきたが、現ダライ・ラマ14世テンジン・ギャンツォは不死ではない。14世が崩じた時、亡命政府は求心力を保ち続けることができるであろうか。チベット密教の伝統という基盤とチベット民族の団結力の強さは賞賛に値する。しかし、現在のチベット人社会が、現ダライ・ラマ14 世個人のカリスマ性に支えられていることも否定できない。
中国の支配下にあるチベットの地には、ダライ・ラマを実感として知らない世代が確実に増えている。中国政府の監視のもとに教育を受け、情報が統制された中で、外部にある亡命政府との温度差が出てくることは避けようがない。ダライ・ラマ14世とチベット亡命政府は中国政府に対し、あくまで「高度な自治」を求めているのであり、独立要求はしているわけではないことを繰り返し強調しつづけている。独立国家としての立場にこだわらず、共生の道を探ろうとしているのだ。このような中道アプローチは、仏教者として当然の姿勢かもしれない。これに対し、そのような生ぬるい態度では強硬な中国政府には通用しない、と考える「チベット青年会議(TYC)」のようなグループがあることもまた事実だ。チベットの若者達があくまで独立を望むなら、ダライ・ラマにさえそれを止める権利はないであろう。しかしまた、このような一触即発の状況下にあって、この程度(といっては語弊があるが)で済んでいるのは、ダライ・ラマという抑止力と、長いチベット密教の歴史の中で培われてきた非暴力の精神の現れではなかろうか。ダライ・ラマ14世は、暴力行為が続くなら、退位も辞さない覚悟だという(2008年3月18日, AFP BBNews)。この発言は中国政府とチベット人内の急進派に対する牽制として非常に政治的な側面を持つと同時に、「一介の僧侶」を自認する彼の仏教者としてのいつわらぬ気持ちであるようにも思う。ダライ・ラマ14世は当初から一貫して北京オリンピックの成功を支持し、各地のチベット人たちへ暴力を用いることのないよう呼びかけつづけている。そしてそれは、ただ静かに運命に流されるままになっているのとは違う。記者会見や講演の場でも折に触れて語られる「慈悲(compassion)」という言葉に現れる強い主張を持って、平和のために戦いつづけているのである。
未だチベットには平和は訪れていないにもかかわらず、ダライ・ラマがノーベル平和賞を受けたということには、大きな意味がある。昨年米国議会から最高の栄誉である黄金勲章を受けたことも記憶に新しい。これらの賞を授与することで、国際社会は彼のチベット文化を守る努力と、平和に向けた非暴力の活動を支持する姿勢を表明したと言えよう。
日本における仏教が、一部の宗教者のもの、あるいは葬式でお世話になるだけのものと思われているのに対し、チベット仏教はチベット人全体の生活に根付いている。指導者が輪廻転生するということの妥当性、政教一致の体制への疑問もあるだろう。しかし、現に強い求心力を持ちつづけているこのダライ・ラマという存在を、西洋的合理主義だけで解釈してよいものであろうか。例えば、チベットには世にもめずらしい一妻多夫婚の習慣が残っている。しかし、チベット社会においてはそれが理にかなっているのであり、我々が奇習と決めつける筋合いはない。
社会主義は成功しなかった。経済先進国を席巻している資本主義にも、9.11以降疑問の目が向けられ始めている。世界は今、チベットから学ぶことがあるはずだ。ただ真似るのではない、我々と違った論理で成り立っている社会があるというその多様性に目を向け、学ぶべきは学ばなければならない。それは、チベットもまた、日本や世界から学ぶことがあるということだ。そして重要なのは、ダライ・ラマ14世はその用意ができている人だということだ。
2008年8月2日、ダライ・ラマ法王日本代表部事務局代表ラクパ・ツォコ氏は、一般向けのチベット語講座開催にあたり、チベット文化を学ぶべく事務局に集まった日本人達を前にこう語った。「チベット人は中国人を憎んで当然だと思われているかもしれない。現在の政府の方針には反対ですが、中国人はみな兄弟姉妹だと思っています。前世、あるいは来世では親子かもれないからです。我々チベット人は、本気でそう信じているんです」。そんなことは非科学的だと言ってしまえばそれまでだが、大切なのは、そこから生まれる他者への愛だ。今回の騒動に便乗してインターネットの書き込み等に現れた、中国人に対する誹謗中傷の数々。このような言動が、亡命政府の思いとなんとかけはなれていることか。
明日8月8日、2008年北京オリンピックが開幕を迎える。重要なのは、これからである。チベット問題への関心を一時の「ブーム」に終わらせることなく、我々はこの平和の祭典をとりまく問題を通じて、もう一度、共生ということについて考えなくてはならない。世界が注目し、声を上げ続けていかなければ、チベットはゆっくりと死んでいくだけだ。中国は今、重要な岐路に立たされている。日本を含む各国政府もまた、この問題にどう対処するかが、今後の世界の価値観を左右することになるはずだ。チベット仏教の体現者であるダライ・ラマ14世の徹底した利他と非暴力の姿勢は、国や宗派を越えた、新しい問題解決の方法を提供してくれているのではないだろうか。
2008年8月7日 高野山大学院チベット密教レポートとして(担当教員:奥山直司)
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