*仏教と坐禅瞑想*アーカイブ

nichijyosahanji.jpg11月3日文化の日、5名の禅僧による禅とアートのイベント『日常茶飯事 ~続・禅アート的日常のススメ~』が、代々木のアンダー・ザ・ライト ヨガスクール(UTL)で行われました。
http://www.underthelight.jp/news/2010/10/113.html

永平寺で修行を積んだ禅僧であり、パリ留学を控えたアーティストでもある風間天心さん。修行時代の仲間(同安居)たちとともに手作りの単に坐り、「応量器展鉢」という本格的な食事作法を披露しました。本当は1時間くらいかかるそうですが、今回は短縮して30分に。それでも、見ごたえのあるパフォーマンスです。
修行僧たちは毎日この作法にのっとって食事をしているのであって、誰に見せるわけでもありません。そんな日常の動作が、美しい作法として見る者を圧倒します。

その後は参加者も簡単な食事作法を体験。慣れない作法に緊張しながら、玄米粥とお漬物をいただきました。
会場はギャラリーもかねており、天心さんが修行中に書いた絵や、アーティストとしての作品を展示。ふらっと立ち寄って見ていく人の姿もありました。

永平寺の先輩にあたる樋口星覚さん(彼岸寺メンバー・雲水喫茶マスター・UTL坐禅講師)も終始イベントをサポート。参加者の質問に熱心に答えていました。
彼岸寺の中心メンバー松下弓月さんも激励にかけつけ、UTLはかつてない僧侶密度に。。

それぞれが禅とアートと日常の関係に思いを馳せた、芸術の秋の一日でした。

Jasmin嬢を伴って、「第一回密教の旅」をしてきました!
(写真は後日。。)

もう10回以上来ている高野山。
ですが、人をちゃんと案内して回るのはこれが初めて。
高野山を好きになってもらえるよう、ポイントを抑えたコースを設定してみました。

昼過ぎにケーブルカーで高野山駅へ着くと、まず入り口となる女人堂をたずね、女人禁制が解かれた現代に感謝しつつ、師僧の寺、真田坊蓮華定院へ。
寺務所のみなさんにごあいさつしたら、荷物をおいて、高野山随一のおしゃれカフェ、梵恩舎へ向かいます。

途中、得度のときにお世話になった尼僧先生に出会ったり、梵恩舎では無量光院のスイス人僧侶クルトさんや、「タイシー胃腸薬」の看板が目を引く老舗薬局の息子さんに話しかけてもらったり。。

100910_lunch.jpg早速お山の縁を感じながら、おいしいベジランチとケーキセットで腹ごしらえを済ませたら、近くのお気に入りスポット、摩尼塔へ。ビルマのB級っぽいアイテムやアトラクション(プチ胎内めぐり)を楽しんでウォーミングアップしたら、徒歩で奥の院へ。

一の橋から奥の院エリアに入ると、とたんに空気が変わるのを感じます。大きな古木に囲まれた、静かで涼しい森。

途中、日本全国の武将たちの墓を見つけながら、奥へと進んでいきます。歴女憧れの地ですね。何度も来ているのに、そのたびにあたらしい発見がある。終わりがないのではと思うころ、ようやくお大師さんのいる奥の院が見えてきます。

前回お知り合いになった奥の院の職員さんを見かけましたが、忙しそうなので声を掛けずに過ぎる。またすぐ来ますからね。

奥の院では、弘法大師空海さんが今も禅定を続けているといわれています。
今もお大師さんの心が生きている、と解するのが普通ではありますが、
真実を知るのは、衣を代えるお世話係の僧侶だけ。。
不思議な言い伝えがたくさんあるのも、高野山の魅力です。

奥の院の手前には、みろく石という、片手で持ち上げれば願いがかなうという石があります。我々が苦労していると、後から来たおじさんがだまってお手本を見せてくれます。なるほど!と、コツをつかんでJasminが再挑戦。みごと石を持ち上げることができました。
高野山ではみろく石の名をとった銘菓が定番のお土産になっています。

100910_fu.jpg休憩所で釜からセルフサービスのお茶をいただき、蓮華定院でもらった餡麩でおやつタイム。
このお茶がなんだかとってもおいしいのです。

帰りは大企業の変わったお墓を見ながら中の橋に出ると、こんどはバスで真反対にある、高野山真言宗の総本山金剛峰寺へ向かいます。

お寺の中を見学し、ここでもお茶とお菓子の接待を受けます。宿坊に帰れば、お茶とみろく石饅頭があるはず。。高野山では、おやつには事欠かないのです。

根本大塔を見たら、三鈷の松の下でまた伝説をひとつ。空海さんが唐から投げた三鈷杵が、この松にひっかかったと言われているのです。
だから、四葉のクローバーならぬ三つ葉の松を見つければラッキーだよ!などと言っていたら、なんとJasminがすぐに見つけてしまいました。幸先よいですね。

霊宝館を駆け足で見て回り、17時半の夕勤行に間に合うように宿坊へ帰ります。

急いで衣体(衣と袈裟)をつけて本堂へ。Jasminは他の宿泊客と共に、私は3ヶ月ぶりの内陣で陀羅尼を唱え、上綱さん(住職)の指導で阿字観瞑想。我々二人とも、ちょっと疲れてうとうとしてしまいました。。

上綱さんのご法話のあとは、豪華な精進料理。その間も、上綱さんのお母様が高野山の歴史をお話くださいます。お母様は90歳を超えていますが、若いころから英語が堪能な才女で、お肌もつやつやです。 

翌朝はまた衣体をつけて、本堂の勤行へ。朝は理趣経を読み、回向をいたします。
上綱さんのお話の後は、軽い朝食。旅館のようにやたらに重くないのがありがたいです。

この日は午前中から熊野へ移動するため、寺務所でおすすめスポットなど聞いたら、早々に暇乞い。名残惜しく何度も振り返りながら、蓮華定院を後にします。

バスの時間まで波切不動さんや徳川霊台を見学。ここでも個性的な受付のおじさんに親切にいろいろ教えてもらい、再会を約してバス停に向かいます。

バス旅に備えて高野山のコンビニ、ココストアへ行くと、なぜか昨日会ったばかりの尼僧先生、みろく石のおじさん、無量光院のクルトさんに一度に再会。高野山は狭いとはいえ、この遭遇率はすごい。。

訪れるたびに縁が深まるの感じる高野山。
お大師さんのお手回し、というのだそうです。


次回は熊野編。


 専門知識を持たない多くの人にとって、仏像はどれも同じに見える。せいぜい、如来形と菩薩形の違いくらいで、どれがどの仏であるかはほとんど分からない。これらの仏たちを区別するのが、その持物である。
 宗教画において、描かれる人物や神に、それぞれ特有の持物、アトリビュートを持たせるのは普通に行われていることである。持物はそれを持つ者の性質や歴史を物語ると同時に、それが誰であるかを明示する記号でもある。

 初期仏教においては、釈尊の姿が図像化されることはなかった。図像で表わされるようになったのは入滅後のことであり、それも法輪やストゥーパ、仏足石などのシンボルによってであった。
 人の姿をした仏像がつくられるようになったのは紀元1世紀頃、ギリシアやペルシアの影響を受けたガンダーラ美術や、インドの土俗的な特徴を示すマトゥラー美術においてである。釈尊の入滅からおよそ5世紀を経た後のことだ。つまり、これらの仏像が釈尊その人の身体的特徴を正しく表わしている可能性はほとんどないのである。その尊容は儀軌によって三十二相八十種の特徴を備えると定められているが、これらの特徴は、作られた像が仏像であることを示す約束事でしかない。仏像は釈尊の肖像ととらえるよりも、人型のシンボルととらえるのが正しいのである。

 インド密教美術の最大の特徴は、一旦はシンボルから人物へと変わった仏像が、再びシンボルへ、それも無数のシンボルへと変わっていったことである。
 密教の時代にあっても、当初は釈尊をはじめとする古くからの代表的な数種の仏像しか作られていなかった。それがある時点から、像容が画一化され、仏像の種類は爆発的に増える。描き分けを放棄してしまったようにも思える。その間のギャップは一体なんであろうか。

 密教において仏が一気に増えたのは、ヒンドゥー教の影響だという説明がなされることがある。実際、ヒンドゥー教から天として取り込まれたものも多い。しかし、密教仏が増えたのは、マンダラ儀礼の登場に依るところが大きいという(※1)。ヒンドゥー教の神々が、長い歴史とたくさんの物語を持つ土着の神を取り込んで増えて行ったことと、儀礼上の要請から、個性を持たない仏たちが観念的に増やされていったこととは、根本的に異なっているのである。
 文献に名前だけで登場する膨大な仏たちをどう表現するか。密教において、全ての仏は大日如来の性質の表れであるという。もとより物語など持たないのである。名前を書く以外に表現のしようがない。そこで、シンボルという名札をつける方法を見つけたのではないだろうか。
 シンボルだけで仏を表わしたものを三昧耶形というが、語源であるサンスクリットの「サマヤ(samaya)」は「約束」や「決まり事」を意味し、これが記号であることをはっきりと示している。

 古代エジプトの絵画における神々は、どれも同じ様な体型と、体幹は正面、顔と手足は横向きという独特の立ち姿、あるいは玉座に腰掛けた姿で表わされ、それぞれを区別するのはその身体に載せられた動物や人間の顔と、やはり持物である、ように見える。しかし、事情は密教仏とはかなり異なっている。エジプトの神は多くの場合、同一の神でも動物型と人型など、複数の姿で表わされる。時代や地域によっては、逆に異なる神が同じ姿で表わされたり、元の持物に加えて他の神の持物を持ったりと、神々の同一視や合体がしばしば行われ、図像上の表現は非常に混乱している。それでも神々の名を言い当てることが出来たのは、多くの場合、側に象形文字で名前が書いてあったからである。
 密教仏たちは、自身が象形文字となることで、そのアイデンティティを獲得し、逆説的に個性を失った。絵による文字という文化をもつ古代エジプトにおいて、神々自身がシンボル化の道をたどらなかったのは、不思議なことにも思える。しかし、無数の表現があるということは、逆に固有の姿を持たないということであり、そこにはやはり名前だけが残るのである。

 釈尊という一仏から出発し、爆発的な増殖の後、また大日如来という一仏へと還った仏たち。どれも同じに見えるのは当然のことであり、また、正しいことなのかもしれない。

※1 森雅秀「密教仏の形成」, シルクロード・奈良国際シンポジウム2007 記録集 No.9 『インド世界への憧れ』, p.90

※上記考察に加え、古くからの仏が画一化された理由として、そもそも形式的表現がインド美術の特徴である点も考慮する必要がある。

2009/8/13 高野山大学院 インド密教美術レポートとして (担当:森雅秀教授)
2010/7/8 加筆修正

 日本人はよく言われるように、多くの人が生まれたときは神社へ行き、結婚式は教会で挙げ、死んだら寺の墓に入る。一生ひとつの宗教に真剣に取り組む敬虔な人々から見れば、一貫性がなく、ずいぶんいい加減に思えるだろう。だが、多様な宗教文化を躊躇なく取り入れることができるのが、日本文化の特徴であるのも事実だ。
 仏教は今日、日本では「葬式仏教」などと呼ばれ、批判されている。その批判の意図には、本来仏教は葬儀には関わりがないはすである、というものと、現代において仏教は葬儀にしか関わってこない、という二つの論点がある。その一方で、火葬の起源を仏教に求める説は広く受け入れられているようだ。現代の日本人と仏教葬儀の関わりを、葬儀の起源から考えてみたい。

釈尊と葬儀

初期仏教と葬儀の関係は、釈尊と弟子アーナンダとのやりとりに見ることができる。パーリ語で記された聖典『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ(大般涅槃経)』には、釈尊の最後の旅から涅槃に入るまでが描かれている。その中で仏陀はアーナンダに対し、「アーナンダよ。お前たちは修行完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな 」と語り、修行に専念するよう促している。そしてこの部分が、仏教は本来葬儀と関わりがないはずではないか、という意見の論拠となっている。
 しかしながら、つづいて釈尊は、遺骨の崇拝は一般の信者が行うものとして、転輪聖王の遺体と同様に処理するよう詳細に指示している。転輪聖王とは、古代インドにおいて、ダルマ(法)によって統治する理想的帝王を指す言葉である。その葬儀の方法は、遺体を新しい布と綿で交互に五百重に包み、油を入れた二重の鉄槽に入れ、香料を含む薪で火葬にし、ストゥーパを建ててそれを礼拝するという、相当に費用と手間のかかる豪華なものである。
 火葬にすることを、日本の仏教用語では「荼毘に付す」という。荼毘はサンスクリットからの音写であり、仏教とともに入ってきた言葉である。『続日本紀』の文武四年(700年)三月十日の項に、唐からきた仏教僧道昭が火葬にされたとの記述があることから、これを日本で最初の火葬であり、仏教とともに伝来した証拠であるとする説もある。しかし、火葬は仏教の発明というわけではない。日本においても、仏教伝来以前の古墳時代にも火葬が行われていたとされている 。
 理由付けとして火葬の起源を釈尊に求めることはできるが、釈尊は仏教徒全てが火葬を行うよう指示したわけではないし、仏教=火葬ということにはならない。しかし日本では、遺体は火葬場に、葬儀は仏教僧侶に託されたのである。


火葬という文化
 ここで、"遺体の処理"と"葬儀"を明確に分けておきたい。双方は一連のものとし見てしまいがちだが、"遺体の処理"は、燃やすのか、土に埋めるのか、といった遺体そのものの扱いであり、"葬儀"は、遺体の処理の前後に行われる、死者に敬意を表す儀式である。もちろん、この二つは切っても切り離せない関係にあり、相互に関連があるのだが、"遺体の処理"はその地域の習俗と、"葬儀"はその時代の宗教と深く関わりがあると見ることができるのではないだろうか。
 ヒンドゥー教が主流のインドでは、古くから火葬が一般的だ。仏陀が火葬にされたのも、当時のインドでは聖者の葬送としては一般的なことだったと見てよい。ヒンドゥー教徒は、炎によって魂が天へ運ばれると考えた。一方で、インド仏教を最も正確に受け継いでいるとされるチベットでは、現在も天葬(鳥葬)が一般的であり、火葬されるのは高僧や高官に限られている。さらに、ダライ・ラマのような最高位の僧侶はミイラとして塔に収められる。宗教的には、魂の抜けた身体は物体に過ぎず、鳥への施しにもなるという仏教的意味と、魂を天上に運んでもらうという民間信仰的意味が見いだせる。しかし地理条件的に見れば、チベットは雪に覆われた高地であるために火葬に用いる薪が手に入りにくく、土葬に適した広い土地もない、という現実もある。
 火葬という行為には、とらえかたによって多様な意味が見いだせる。遺体を無くすことから、死者が復活できなくなると考える文化は多い。中世ヨーロッパの魔女狩りにおいては、魔女を復活させないという破壊的意味で行っていた。復活を重視するキリスト教やイスラム教が一般に火葬をきらう理由もここにある。反対にインドでは、肉体をなくすことによって解脱して天上に帰れるとして肯定的にとらえる。炎に包まれることから遺体が浄化される、あるいは煙とともに天に昇るという考えがある一方で、燃やすことを遺体への侮辱ととらえる文化もあるのだ。また、現実的観点から見ると、設備の不十分な所では遺体を焼くことによって異臭が広がるという問題はあるが、腐敗させるよりは衛生的な場合もある。日本のように人口が多く国土の狭い地域では、灰にすることで埋葬場所の節約になるという現代的な事情も考慮しなければならない。
 日本では火葬が当たり前のことのようになっているが、世界的に見ると遺体の処理方法は一様でなく、それぞれの文化がもつ習俗に宗教的意味付けが加わり、歴史的経過と相まって現在のような形になっていることがわかる。

現代の日本と仏教式葬儀
 日本人のほとんどが寺で葬式をあげるようになったのは、江戸時代の檀家制度によるところが大きい。徳川幕府はキリスト教を禁止するため、全ての民衆に檀徒となることを義務づけた。一人一人が宗門人別帳に記載され、これが戸籍のような役割を果たした。やがて一家が一つの寺を菩提寺として所属し、代々檀家として寺を支えるようになった。以来、子孫は同じ寺の墓に葬られてきたが、現在では単なる習慣と化してしまったために、多くの人は仏教式の葬式をあげることに疑問をもたないかわりに関心ももたない。その一方で、寺が檀家以外には門を閉ざすようになったため、誰にでも開かれている神道の神社とは異なり、近付き難いものになってしまった。
 多くの日本人は、寺にあまり明るいイメージを持っていない。観光として立派な仏像を見て回ることはあっても、一般的には葬式や墓参り、つまり死に関わること以外に、機能としての寺には用がないものだ。
 宗教の重要な機能の一つに、人間が最も恐れる死を説明し、恐怖をとりのぞく、というものがある。あとからやってきた外来の宗教である仏教は、死について新しい概念をもたらした。しかし現代の仏教がそれを人々に伝える機会は、葬儀のときだけである。
 日本では宗教教育ということはほとんど行われない。宗教問題となると過剰反応し、腫れ物を触るような扱いである。それでいて、人の死に際しては、何か儀式を行わなければ気が済まない。葬送という行為は、もっと原始的な、先祖を敬う気持ちや死を恐れる気持ちからきているのだ。古くは約6万年前のネアンデルタール人でさえ、遺体に花を添えるようなことを行っていたという説もある 。宗派による葬式の手順は、形式にすぎない。しかし、その儀式を通じて、死というその人の人生最後のイベントと向き合うのだ。仏陀が一般信者に葬儀の方法を指示して去ったのも、それが人々の信心のためには必要なことだったからなのだろう。
 葬式は、残された人々のために行うものだとも言える。個人を悼み、敬うことで、その死を受け入れ、乗り越えることができる。仏教的に言えば、死を悲しむのは修行の完成していない証拠だ。『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ』にも、修行の浅い弟子たちの嘆き悲しむ悲痛な姿が描かれている。しかし、なかなか一般人がそんな境地に至れるものではない。ましてや現代のように、人が死んで初めて寺へ行くような状況では、親しいものの死を容易に受け入れることができようか。

 近年、スピリチュアルケアやターミナルケアということが注目されつつある。スピリチュアルケアとは、死を迎えつつある末期患者の抱える精神的痛みを緩和しようというものである。仏教に限らず、宗教者はこのような死に直面する場面で重要な役割を果たしてきた。刑務所では、教悔師が死刑囚と話をし、死刑執行を前に気持ちを落ち着かせるというようなことも行われている。宗教が全ての人の救いとなるとは言えないが、長く受け継がれてきた智慧には誰しも学ぶところがあるはずである。
 自分の明確な意志で無宗教葬を選んでいる人はともかく、現代の日本人の多くは、死後は寺に葬られるとわかっていながら、積極的に仏教と関わろうとはしていない。そこには、死と向き合うのを先延ばしにしたいという気持ちもあるのかもしれない。しかし、死後に戒名をつけるということは、仏教寺院に迎えてもらうために、死んでからあわてて仏弟子となるということである。その本来の意味は忘れられ、大枚をはたいて院居士などをつけた立派な名前をもらうことが大切だというような風潮がある。死後に戒名をつけてもらい、仏となって寺に葬られることを受け入れているのなら、それが何を意味するのか、考えるべきだろう。
 無論、仏教の側からも、一般人に対して、現代の事情に即したアプローチをする必要があるだろう。誤った考えを持つ宗教者の起こす事件の影響で、現代の日本人が宗教に偏見を持ち離れていく中で、なお最期を任せられている宗教というのは、人のー生の中で重要な役割を持っているといえるのではないだろうか。人の死を送る手伝いをするなら、人が死を迎える準備も、仏教にはできるはずである。

2008/12/08 高野山大学院: 仏陀の伝記(担当教員/谷川泰教)レポートとして
2010/05/22 一部改訂

100520_jinjyataisho.jpg 高野山霊宝館に常設展示され、仏像愛好家の間でも人気の高い深沙大将立像。霊宝館の中でもひときわ目を引く異形の像である。向かい側に立つ執金剛神像と合わせ、鎌倉時代、快慶の作と推定されている。
 逆立った髪、なびく衣、隆々とした筋肉に浮き出た血管、そして力強いポーズ。静かに真正面を向いた如来や菩薩の像に比べると、躍動感にあふれ、"リアル"な迫力を感じるのではないだろうか。しかし、このような姿の実体が存在し、仏師がそれをモデルにしたということではもちろんない。
 深沙大将立像には、髑髏の首飾りや、像の顔を穿いた脚、腹部の童子の顔等、人々の注目を集める異様な表現が数多くある。しかし、この異形の姿にリアリティを与えている力強い肉体こそが、実はあり得ないのである。
 まず目を引くのが、腹部の八の字に盛り上がった瘤状の連なりである。力強く逞しく見える表現だが、実際の人体の筋肉はこのような構造をしていない。外腹斜筋の表現ととらえる人もあるようだが、肋骨弓の誇張表現ではないだろうか。胸部の中程に横に走る溝も、肋骨のイメージが大胸筋の隆起と混ざってしまったように見える。そして、鍛えられた上肢に対し、下腹部はぽっこりとして全く筋肉が感じられない。一体どのような鍛え方をすればこのような身体になるのだろうか。

 深沙大将立像のこれらの誇張された肉体表現や、上半身裸で下方を睨みつけるポーズは、同時代に多く作られた仁王像とよく似ている。天平時代、立体像としては日本最古の仁王とされる法隆寺中門の仁王像にも、同様の特徴は既にあらわれていた。唐代の中国において様式化されていた仁王像の影響を受けたものである。
 鎌倉から江戸期にかけて、これらの肉体表現の特徴はさらに様式化され、単なる装飾と化していくことになる。例えば、腹部の八の字の隆起が横一文字になったり、それがさらに三列になったりと、完全に元の意味が失われてゆくのである。時代が進むにつれてリアリズムから遠くなってしまうとはおかしなことだが、模倣は、劣化を伴うという事実のあらわれでもあろう。仏師たちは人間のモデルを使うことなく、過去の作品の複製を繰り返すことで仏の姿を伝えようとしてきたのである。そういった流れの中にあって、慶派は独自の美意識で現実を超えたリアルさの表現に到達した希有な例であろう。

 快慶と同じく慶派の定慶の作である興福寺の仁王像は、小振りで人間サイズだ。上肢と腹部はバランスよく鍛えられ、極端な誇張がなく、より現実の人体に近い。しかし、解剖学的に正しい人体と、解剖学を無視した誇張表現と、尋常ならぬ迫力を感じさせるのはどちらであろうか。そもそも深沙大将は人ではないのだから、人に似せて作ることは、必ずしもリアリズムの追求とはならない。
 気持ちの上で感じる"リアルさ"と実際の"リアル"には、しばしばギャップが生まれる。偉大な存在を思うとき、心のなかでのイメージは大きくなりがちだ。大幅なデフォルメを加えて、ようやく釣り合うのである。深沙大将のような常人を超えた存在の"リアルさ"を表現するには、リアルを超えていなくてはならないのである。

2009/08/16, 高野山大学院, 日本密教美術(担当:森雅秀先生)レポートとして


参考:
高野山霊宝館【収蔵品紹介:仏に関する基礎知識:深沙大将】
http://www.reihokan.or.jp/syuzohin/hotoke/ten/jinjya.html
写真のカッコイイしおりも、霊宝館で購入可能。

100516_rengejoin.jpgもう何度目になるか分からない高野山。
下界とは比べ物にならない寒さですが、今はシャクナゲが見頃で、町を美しく彩っています。
高野町は町長選の真っ最中。マイクを持ったお坊さんまで載せた選挙カーが、小さな町内を走り回っています。

今回は町のはずれ、真田家ゆかりの蓮華定院の宿坊にお世話になりました。
こちらも「蓮華式生活設計」というタイトルでやっていますので、以前から気にはなっていたのですが。。

実は今回は、2月のインド、デプン・ゴマン巡礼で知り合った樹安兄のご紹介で、蓮華上院の上綱さま(住職)に僧名をいただき、徒弟となるための訪問なのです。不思議なご縁です。

上綱さまは英語が堪能で、法話や瞑想指導も完全バイリンガルで行われるので、宿泊客はとにかく国際色豊か。
3泊の滞在中にも、フランス人、オランダ人、インド人、スイス人。。と様々な国の方が訪れていました。晩の入浴時には日本人は私だけ、という状況に。
廊下に掲示してあったフランス語のミシュランガイドを見ると、三ツ星の「Koyasan」の項目に、「Rengejo-in」の名と、英語完璧、の記述が。。道理で。

高野山を訪れる外国人は、やはり日本文化や仏教への関心が高く、色々と難しいことを聞いてきます。もっと勉強しておかないと、、と思うと同時に、外国人が興味を持つ点にこそ、日本の若い人に仏教を伝えるためのヒントがあるように思ったのでした。

上綱さまからいただいた名前は「寂洋」。
「あなたという海(「洋」)の中に色々な川が流れ込んでくるでしょう。その中には荒れた川もあるでしょう。そんな荒れた川も、あなたの中で静か(「寂」)になるように」。
感動して、ちょっと涙が出ました。

石橋法衣店で法衣を一式揃え、大学での得度習礼(僧侶になる儀式のリハーサル)も無事終了。
同期にも恵まれ、尼僧同士助け合って乗り越えられそうです。

来月には「ただいま」と言って、また蓮華定院の門(いや、くぐり戸かな。。)をくぐるつもりです。

本日4月8日は、お釈迦様の生誕を祝う灌仏会。
。。ということになっています。日本では。

これは本来、旧暦の4月8日に行われるべきものです。韓国などでは、現在も旧暦に従っているようです。
日本では七夕など、本来旧暦で行うべき祭りを新暦の日付で行ってしまうために、祭り本来の意味を失ってしまっている例が多くあります。
それにしても、お釈迦様のお誕生日は本当に旧暦4月8日なのでしょうか。。?

そもそも、釈尊の誕生年には多くの説があり、学術的に信憑性の高いものだけに絞っても、その間には100年もの開きがあります。にもかかわらず、特定の日にちが釈尊の誕生日として、現在に至るまで毎年各地で盛大に祝われているのはなぜなのでしょうか。

東アジアに伝わる旧暦4月8日説は、アシュヴァゴーシャ(馬鳴)によって書かれた『ブッダチャリタ』という仏伝の漢訳、『仏所行讃』が元になっているようです。
アシュヴァゴーシャは、2世紀の詩人。つまり、お釈迦様の入滅(紀元前4~5世紀頃)から600年も後の作家です。その内容はサンスクリットによる美しい叙事詩で、伝説によって飾られた読み物であって、史実を伝えているとは言い難いものです。
『ブッダチャリタ』によれば、釈尊が誕生したのは「プシャの星座が澄んできたとき」となっています。それが漢訳ではなぜか具体的に「4月8日」となっているのです。プシャとは、中国の宿曜でいうところの鬼宿で、蟹座の星。このことと何か関係があるのでしょうか。

スリランカなど東南アジアの南伝仏教の国々では、釈尊の生誕と成道、入滅を記念するウェーサク祭を仏歴5〜6月の満月の日、西暦4〜5月頃に行っています。チベットではサカダワ祭といい、チベット暦4月15日にあたります。
ウェーサクとは、インド暦2月、ヴァイシャーカ月のこと。大乗の代表的仏伝『ラリタヴィスタラ』には、釈尊はヴァイシャーカ月の満月の日に母親の胎内に入った、とあります。これは、旧暦4月15日にあたります。しかし、ここで注意しなければならないのは、この日は「入胎」の日であって、「誕生」はその十ヶ月後だということです。
「4月15日」という日付があくまで象徴にすぎないことは、この日が誕生のみならず成道、入滅の日でもあるとされていることからもうかがえるでしょう。

仏伝の中の曖昧な記述が、地域を越えて伝わる際に別の暦に移し替えられ、ある時はそのまま、ある時は変換されて日付が伝わった結果、現在のようにいくつもの説が生まれ、それでも大切に伝承され、祝われているのです。

インドの円環的時間感覚の中で育まれた仏伝を、直線的な時間軸の中でいつ起きた出来事なのか議論することは無意味なことなのかもしれません。釈尊の説法は輪のように回り続け、ヴァイシャーカ月の満月は毎年巡って来るのですから。


100312_zazen1.jpg3月から、代々木のアンダー・ザ・ライト ヨガスクールで朝の坐禅クラスがはじまりました。

平日朝6:30〜8:30。
代々木にプチ永平寺が出現します。

ご指導くださるのは、永平寺で3年間の修行を積んだ雲水であり、なんとイケメン俳優でもある樋口星覚さん。

彼岸寺雲水喫茶の運営など、幅広くご活躍されています。

100312_zazen.jpg時間内なら出入り自由な随意のクラスではありますが、ただ集まって坐るだけの場所ではありません。

永平寺の作法に従って、道場を清掃し、只管打坐し、読経して朝課を勤め、おかゆをいただきます。

出勤前に坐禅で身も心もすっきり、なんていかがですか?

私も見習いとして、お手伝いしながら修行しております。

暁天坐禅@UTL
http://www.underthelight.jp/class/zazen.html


100214_tukiyomi.jpg2010年2月14日、新月。チベットではロサル。中国では春節。
旧正月を迎えたこの日、月読寺の瞑想師範学校が本始業を迎えました。

昨年末から仮オープンしていた瞑想師範学校。
オリエンテーションから二次選考を経て、ようやく第一期生として入門を許されたわけです。

本始業第一回目の講義と瞑想実習は、前回までとはうってかわって専門的で深い内容。
急にインテンシブになったな、と、気がひきしまります。


これから1年間、月に二回、7時間、月読寺住職小池龍之介師匠の元で、
初期仏教のシステマチックな瞑想を本格的に学んでまいります。
3年後、4年後に、誰かに瞑想を伝えられるようになることを目指して。


#
現在ポタラ・カレッジではチベット仏教の止の瞑想理論を勉強中、
3月からは永平寺式の坐禅もはじめることになります。。
宗旨は違えど、もとは同じ仏教の瞑想。

今年はますます、坐禅瞑想がテーマになっていきそうです。

初めての印度へ1週間の旅に行ってまいりました。
今回訪れたのは、デリー、バラナシとサールナート、アーグラー、ジャイプール。

インドは怖い、危ない、汚い、カルチャーショックを受ける、とさんざん脅されてきましたが、行ってみれば、親しみやすく、懐の深いアジアの国。日本に対する感情も良いようで、行く先々で親しげに声をかけられます。

【デリー】
世界遺産クトゥブ・ミナールでは、その美しさとスケールの大きさに圧倒。。
しかししかし、ここで注目したいのは、片隅に地味に建っているアショーカ王の鉄柱! 
パーリ語でなにやら刻んであるのも気になりますが、錆びない鉄柱として有名なオーパーツであります。当時の技術ではありえない、オーバーサイエンス。宇宙人が作った、とは思いませんけどね。。

0910_india_train.jpg【バラナシ】
デリーからバラナシへは、12時間の列車の旅。地元のインド人や外国人旅行者と一緒に、3段ベッドの寝台車でガタゴトと向かいます。ひっきりなしにチャイやサモサ売りがやってくるので、食べ物に困ることはなさそうです。

今回ガイドとして一緒に旅してくれたアビ君は、なんとバラナシのヒンドゥー大学でヨガを2年間勉強したのだとか。インド人はヨガを知らないなんて聞いていましたが、都会の若い人でも朝からプラナヤマをやる人がいると聞いて安心。

バラナシでは、いくつかのヒンドゥー寺院に参拝。
ドゥルガー寺院ではバラモンさんが手首に黒い紐を巻いてくれました。女性は左、男性は右なんだとか。チベットのスンドゥも、インドからきているのでしょうね。

0910_india_sarnath.gifサールナート
この旅で一番楽しみにしていたのが、釈尊の初転法輪の地、鹿野苑ことサールナート。
バラナシ市内からは車で30分程度。
現在は公園のようになっている鹿野苑。思ったよりとてもこぢんまりとして、鹿さんの姿もなく、お坊様もチベットとタイの方を数名お見かけしたのみ。

釈尊が説法を行ったという菩提樹の下には、キラキラの法衣をまとったイケメンブッダと五比丘のキッチュな人形が。。その傍らで、ヒンドゥーの少女たちが「ナモー タッセー〜」と、パーリ語で礼拝文を唱えています。ヒンドゥー教では、釈尊もヴィシュヌの化身として、変わりなく祀られているのです。まぁ仏教もヒンドゥーの神様をたくさん取り込んでしまいましたから、お互い様ですね。
思想的には違う所もあるのだけれど、仲良く共存できるのかも、と感じられました。

0910_india_mandara.jpgディワーリー
10月17日はちょうどインドの新年、ディワーリーの日。
バラナシでは街中でラクシュミーとガネーシャの像が売られ、夜にはあちこちで花火の音が聞こえていました。
ホテルの入り口では、床の模様を利用して飾り付け。これはまさしく砂曼荼羅。
西洋的な装飾も、あっというまにインドカラーに。

夜にはガンジス河のほとり、メイン・ガートでプージャーに参列。
様々な法具を使って火を祀るバラモンさんたちの姿に、密教儀礼のルーツを見たのでした。

0910_india_puja.jpg翌朝はガンジス河で小舟に乗り込み、水の上から人々の沐浴を眺めます。
タンクリーナーで舌をゴシゴシしているおじいちゃん。色とりどりのサリーをまとったまま水に入る女性たち。水遊びに興じている若者たち。。
これぞインドという風景ですね。

0910_india_tajmahal.jpg【アーグラー】バラナシからアーグラーへは、また列車でガタゴト。時間通りの発着にインド人もびっくりした模様。
アーグラーでは憧れのタージマハールを。教科書で見たあの建物が目の前に。。大理石の床を素足で踏みしめ、存分に歴史を肌で感じてきたのでした。

【ジャイプール】
アーグラーからジャイプールへは、車で移動。
アンベール城では、タイでもインドネシアでも乗りそこねてしまった象の背中に! けれど、思ったよりも激しく揺れるので、マハラジャが乗るには向いていないような。。
宝石の街といわれるジャイプール。(顔がサキエルに似ていると言う理由で)記念に宝石が入ったガネーシャのペンダントをゲット。

ジャイプールから車でデリーへ戻る途中のこと。たまたま入ったサービスエリアで、インドの人気歌手Kailash Kher とバンドメンバーのグループに遭遇!
行き帰りの飛行機で見た映画「チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ」の主題歌も歌っていたようです。

駆け足で遺跡巡りをした今回のインドの旅。
次回は、ダラムサラやムンドゴッドにチベット寺院を訪ねたいところです。

091025_ryunosuke.jpg10月25日、月読寺ご住職 小池龍之介さまにおいでいただき、「心の取り扱い方---壊れもの注意」と題した講演&坐禅セッションを、アンダー・ザ・ライト ヨガスクールにて開催いたしました。

はじめに、心の取り扱い方ということについて、1時間のご講演をいただきました。
煩悩を無理に押さえつけるのではなく、他人にぶちまけるのでもなく、「やさしく、そっと心を見つめてスッと煩悩を手放す」という仏道的手法。
定員30名の会場は満席。皆さん、うなずきながら熱心にお話に耳を傾けていました。

その後、上手に心を取り扱う集中力を高めるために、瞑想のお稽古に入ります。
自分の呼吸に集中する集中瞑想、心を見つめる観察瞑想のお稽古の後、最後は慈悲の瞑想を行って、静かで優しい気持ちを持ったまま、散会となりました。

予定を30分延長しての充実の瞑想会。いつもとは違う、静かなスタジオの凛とした空気の中で、皆さんそれぞれが気づきを得られたようでした。

10月11日、雲水喫茶さんの企画する第6回09DESIGN@清澄庭園 に参加してまいりました。
以前から気になっていたイベント。今回ようやく参加することがかないました。

09DESIGNとは、2009年をデザインする、禅とコーチングのコラボという異色のワークショップ。
091011_09design2.jpg会場となる清澄庭園の涼亭は、東京都選定歴史的建造物に選定されている数寄屋造りの建物で、池に囲まれた美しい空間です。

坐禅指導の星覚さんは、俳優さんでもあるという、イケメン雲水さんであります。
永平寺仕込みの本格的なお作法で、肩をビシイッと叩く警索も登場。
池に面した外廊に坐し、水面を見つめてしばし過ごします。


091011_09design1.jpg後半は、コーチのこうすけさんによるコーチング実習。
休憩時間の間に、出された課題について考えたり考えなかったりしながら、思い思いに庭を散策したり、お茶をいただいて歓談したりするのも良い時間。
その後、参加者同士ペアを組んで、ポジションチェンジという手法で自らの目標達成のヒントをつかみます。

少人数の和やかなワークショップなので、みなすぐに打ち解け、終了後も全員が昼食会に参加。地元名物深川めしをいただきながら、その日の振り返りをしたのでした。

仏教対人心理学読本
仏教対人心理学読本
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小池龍之介
サンガ


9月18日金曜の夜、新月読寺訪問がてら、小池龍之介様の法話を聴きに行ってまいりました。

今回の法話の内容は、
「2009年9月25日発売予定の『対人仏教心理学~「無我」の純粋交際マニュアル~』を、Amazon.co.jpで予約し、サンガのキャンペーン応募ページ(2009年9月24日(木)24:00締め切り)でご応募された方全員に、小池龍之介氏による法話(30分程度)とパーリ語によるお経の音声ファイルを株式会社サンガよりプレゼントいたします」
とのこと。

とてもわかりやすくって、ためになる内容でしたから、皆様ぜひご予約のうえ応募されたし。
私などは、自分のことかと思うような実例が出てきてどぎまぎ。。

あ、もちろん私も応募しましたよ。

サンガ
http://www.samgha.co.jp/

kouyacafe1_090831.jpg今年も高野山カフェが青山にやってきます!

2009年9月1日(火)~6日(日)
高野山カフェ
http://www.nankaikoya.jp/cafe/
場所:カフェHy's(表参道駅)

一足お先に、丸の内はんにゃ会のみなさんと内覧会に行ってまいりました。

まずは体験コーナーで写経体験と瞑想体験。写経はよくある「般若心経」ではなく、高野山真言宗ならではの「百字偈」です。瞑想ではお坊様の指導で呼吸法を行いながら心を落ち着けます。

kouyacafe2_090831.jpgそして、カフェコーナーではオシャレなイタリアン精進料理をいただきます。 高野豆腐のアボカドサンドや、お芋と黒ごまのニョッキなど、高野山精進料理の食材を使いながらも、アイディアいっぱいでびっくりするほどおいしいお食事です。

高野山が誇るゆるキャラ、こうやくんも来てくれています。普段は高野山でしか手に入らないこうやくんグッズも販売しています。私もこうやくんストラップをゲットしました。

表参道ヒルズでも、高野山写真展を開催しているようです。

東京からは遠くて(普通は)なかなか行く機会のない高野山。まずは青山で気軽に雰囲気を味わってみてください!

(追記:2009.9.2)
はんにゃ会代表えつこさんのブログはこちら。
高野山カフェに行ってきた! - 丸の内はんにゃ会 (元)仏教OLの日記
写真がいっぱいで、カフェの雰囲気が伝わってきますよ!

tsukiyomi1_090829.jpg月読寺が豪徳寺から千歳烏山に移転になるとのことで、移転前の最後の坐禅セッションに参加してまいりました。

月読寺は寺といっても、レトロなアパートの一室にあります。
写真の黒板もご住職の小池龍之介さまがお描きになるのです。かわいいですね。

今回は午前中からの参禅で、お昼の食禅もお供させていただきました。
法話と3回の坐禅セッションの後、ご住職お手製の人参のお漬け物と玄米粥を、集中してゆっくりといただきます。こんな風にゆっくりと味わうと、少しの食べ物でも十分満足できるのだなと、いつも慌ててかき込んでいる食事が無駄なことのように思えてきます。

tsukiyomi2_090829.jpg8月1日の井上ウィマラ先生の講演(高野山大学いのちのセミナー「仏教瞑想とストレス緩和」)でも、一粒のレーズンを時間を3分くらいかけて食べる、という実習がありました。たった一粒のレーズンを食べる間にも、自分の舌や歯が複雑に動き回り、最後に飲み込むまで、さまざまな食感や味が生まれることに気づくのです。

さて、新・月読寺はどんなところになるのか、楽しみです。


発売中のの日経アソシエ9/1号に、カラー3ページでご住職のインタビューが掲載されています!

煩悩リセット稽古帖
煩悩リセット稽古帖
posted with amazlet at 09.08.20
小池 龍之介
ディスカヴァー・トゥエンティワン


7月7日満月の夕べ、月読寺へ初参禅に行って参りました。

ご住職の小池龍之介さんは若い人向けにわかりやすく仏教を説いた本を何冊も出しておられ、坐禅教室は毎回満員でなかなか予約もとれないのです。

煩悩リセット稽古帳』は、月読寺のサイトで連載されている仏道4コママンガとその解説をまとめた本です。小池さん自らクーピーで描かれているイラストがとっても可愛く、楽しく読んでいるうちに仏道の基本が身に付いてしまうという素晴らしい本です。

本格的でありながらわかりやすく、日々の生活の中で実践できることがたくさんあります。
本の内容を心に留めながら一日自分の心を観察していると、心とはこんなにもすぐに揺れ動くのだなぁと、はじめはがっかりしながら、だんだん冷静に眺められるようになってまいります。

すぐに煩悩をなくせるわけではないけれど、煩悩に気づくことで防げるトラブルは多いなと感じるのでした。

月読寺
http://iede.cc/t/

underthelight_school.jpg7月18日、アンダー・ザ・ライト ヨガスクールにて、「『阿字観ヨーガ』瞑想ワークショップ」を開催しました。

講師は、池袋の阿字観ヨーガ教室で出会った井川暉敏先生。
ヨガインストラクターとのコラボ経験もおありなので、是非にとお願いし、今回の開催となりました。

参加者の皆さん、ヨガの経験はあっても阿字観瞑想は初めての方がほとんど。
井川さんの仏教についてのお話に興味津々で、一生懸命ノートをとる姿もありました。

今回は阿字観の入門編です。
まずはインドのアーサナとよく似た清浄体操を行い、身体を整えていきます。
前半は、呼吸を数える数息観。緑茶を飲みながらの質問と休憩の後は、「阿」を唱える阿息観。

インドのヨガで唱える「オーム(AUM)」には、始まりの音「A」が含まれているとされますが、密教の「阿」にも実は「AUM」が含まれているんだとか。

仏教とヨガには、とっても深いつながりがあるのです。

また近々第2回を開催いたしますのでお楽しみに!


090614_sasai1.jpg40年以上に渡り、インドの地で仏教復興運動を率い、不可触民と呼ばれる人々の解放運動をしてこられた佐々井秀嶺師が、44年ぶりに日本へ帰国!

6月7日、護国寺にて「最終講演会 〜よみがえる仏教 インド仏教復興運動の今〜」と題して講演会が行われました。文字通り、これが東京でお話を聞ける最後の機会となるかもしれない今回、主催の彼岸寺さんのお手伝いとして行ってまいりました。

雨の日が続いていましたが、当日は快晴。250名分の資料を用意していた所に、600人以上もの方がお話を聞きにいらっしゃいました。

090614_sasai2.jpg私も隅っこでお話を聞かせていただきましたが、ご高齢とは思えぬなんともパワーのあるお声で、その破天荒な生き方と人柄が、本堂からあふれる聴衆にびしびしと伝わってきました。


現在、カースト制度は表向き廃止されたことになっています。しかし、ヒンドゥー社会には今だカーストによる差別が根強く、その中でも最下層の不可触民はインド人口の85%に及ぶといいます。

単身インドに渡り、「不可触民の父」アンベードカル博士の遺志を継いだ佐々井師。その生涯と活動については、山際素男氏の『破天』に熱く描かれています。

最後に手を握らせていただきましたが、その暖かかったこと。。
満面の笑みを浮かべて颯爽と護国寺を後にした佐々井師。
これぞ菩薩、と思えるようなお人だったのでした。


禅的生活
禅的生活
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玄侑 宗久
筑摩書房


臨済宗の住職で、芥川賞作家でもある玄侑宗久氏の『禅的生活』。犬のナムと猫のタマを引き合いに出しながら、気楽な語り口で生活に生きる禅を解説しています。
読者は禅語のシャワーを浴びながら、悟りの世界を覗き見し、また日常生活に戻ってきます。

とにかく難しい禅用語がどんどん出てくる。仏教や禅についての前知識がないと、一読では面食らうばかりかもしれません。おまけに、玄侑さんは科学者的視点も持っていますから、脳科学的な話もでてきちゃいます。(このあたりは、『禅と脳―「禅的生活」が脳と身体にいい理由』でさらに詳しく掘り下げられています。)

けれど、何度も開いているうちに気になる言葉もでてくるし、禅僧の風流な歌が心にとまったりします。

たとえば「一切唯心造」。人は自分の妄想(もうぞう)がつくりだした世界を見ているだけだと言う、シビアな『華厳経』の言葉。
チベット仏教僧心理学者も、同じことを言っていましたね。だからといってその妄想から簡単には離れられないのが我々凡夫なわけですが。。

坐禅によって目指すのは、一物もない、曇りのない心。
それが、「本来の面目」とか「無位の真人」といわれるものなんですね。

アブラクサスの祭
玄侑さんは、小説作品でも仏教と人の心の問題を取り扱っています。
受賞後第一作『アブラクサスの祭』は、なんと躁鬱病でロッカーな坊さんの話です。ナムという犬も登場します。
主人公の浄念の心は、「一切は唯だ心の造りしものなり」と念じながらも妄想にゆれています。躁鬱の薬を飲むのをやめ、「ありのままの脳」で生きる浄念は、ライブの恍惚の中、異教の神霊アブラクサスの啓示を受けます。「おまえはそのままで正しい」と。(『20世紀少年』で"ともだち"も山さんに言ってましたけど。。)


無限の可能性を持つ「無位の真人」である自分。けれど揺れ動く存在である自分。
全てを「風流」と受け入れてしまう『禅的生活』のヒントがつまった本です。


白隠禅師・夜船閑話『夜船閑話』 の本文は、禅病に悩んだ白隠禅師が白幽子の噂を聞きつける所からはじまります。

白幽子は教えを請う白隠に、道教や『易経』の考え方に基づく古代中国医学の身体観を延々と説明します。これが面白いのだけれど一読では分かりづらい。
要は、心臓は火の性質を持っていて昇りやすいので、腹式呼吸によってしずめ、頭寒足熱にすることが大切ということです。

さらに天台の『摩訶止観』に書かれた呼吸法や道元さんの故事など様々な例をあげ、内観によって心火をしずめ気を丹田から足の裏に集中することの重要性を説いています。

中でも、酥を用いる方法が心身の疲れを癒してくれるのだとか。

【軟酥の法】


  • 鴨の卵くらいの大きさの、すばらしく良い香りで美味な軟酥(古代の乳製品。牛乳を煮詰めたクリームのようなもの)を頭の上に置いたとイメージする。

  • それが溶けて次第に頭を潤し、だんだん肩、肘、胸、腹、背骨から腰骨とおりてきて、心とともに、水が流れるように病も下に流れる。
    流れは全身を巡り、両足を暖かく潤し、足の裏で止まる。

  • 暖かい酥の流れに浸ることは、世の良医の素晴らしい香りの薬を集め、煎じたもので半身浴をしているようなものだと考える。

これを実践すれば心身が若々しく快適になり、内蔵が良くなり、お肌はつやつやに。
あらゆる病が治るだけでなく、徳が積まれ、どんな道も成就できるんだとか。。

イメージ療法ですが、ちょっと考えただけでもなんだか気持ちが良さそうですね。
心は真実ではない妄想によって容易に苦しむものですが、逆に良いイメージは身体を癒してくれるというわけです。

そして、ここが一番重要なのですが。。
これらの内観法によって健康を取り戻したら、いよいよ(禅の)修行に取り組まなければなりません。健康で長生きになっても、何も成さなければ意味がないのですから。

#
今日も、成瀬先生の指導で序文の内観法を実践してきました。
四句を繰り返しながら丹田に意識を集中していると、自然と足腰が暖かくなり、のぼせていた心火が下がる心地がします。お試しあれ。

090510_hakuin.jpg江戸中期の臨済宗の名僧、白隠慧鶴禅師。
書画も達者で、達磨図などの味のある禅画も多数残しています。

その著書『夜船閑話』は、公案工夫(禅問答)をしすぎて、いわゆる禅病(ノイローゼになり、のぼせ、手足の冷え、耳鳴り等がおこる)にかかった者のための健康法を説いたものです。
自らも禅病に悩んだ白隠が、京都の白川に仙人白幽子を訪ね教えを請う、という物語の体裁をとっています。

『夜船閑話』では「内観法」と「軟蘇の法」の二つが説かれているのですが、禅の修行者だけでなく、現代人の心の病にも大いに効果が期待できそうです。

健康法という観点でいろいろな解説書がでていますが、原文にふれるなら、詳しい注と現代語訳のついた伊豆山 格堂著『白隠禅師・夜船閑話』がおすすめです。

【内観法】
しばらくは公案工夫をやめ、まずは熟睡して目覚めること。
横になって目を閉じる前に、足をしっかり伸ばし、気を臍の下の丹田から腰、脚、足裏に集中させる。
次の三句(異本では四句)を念ずる。(答えを考えるのではなく、集中する。)


  • 我が此の気海丹田、腰脚足心、総に是れ我が本来の面目、面目何の鼻孔かある。

  • (我が此の気海丹田、総に是れ我が本文の家郷、家郷何の消息かある。)

  • 我が此の気海丹田、総に是れ我が唯心の浄土、浄土何の荘厳かある。

  • 我が此の気海丹田、総に是れ我が己身の弥陀、弥陀何の法をか説く。

早くて、5~7日、遅くても2〜3週間で効果が現れるとのこと。
眠る前に少し集中するだけですから、毎日続けられそうですね。

私ははじめこの内観法を、成瀬貴良先生からシャバ・アーサナ(ヨーガのポーズの終わりに横たわる、死体のポーズ)の際に教えていただきました。

実はこの「内観法」、『夜船閑話』の序文に書かれているだけなのです。
後編では、本文に書かれたもう一つの「軟蘇の法」をご紹介します。

090308_shabutu2.jpg今日は丸の内はんにゃ会のみなさんと、豊島区長崎の金剛院で写仏をしてきました。

はんにゃ会とは、丸の内のOLさんが中心となってつくった仏教文化を楽しむ会で、定期的に写経会等を開催されています。今回初参加させていただきました。

金剛院さんは先日阿字観を習った大徳寺さんと同じく真言宗豊山派です。うちの菩提寺も豊山派で、金剛院さんの隣の駅にありますので、なんとなく親しみを感じます。

090308_shabutu1.jpg写経ならぬ写仏とは、仏様の下絵をなぞって筆で描き写すというもの。一心に仏の姿を描く写仏は、仏の姿を心に思い描く観法と同じ瞑想の一種と言えます。


大日如来や不動明王など、何種類も下絵がありましたが、私は観音様を選んでみました。
今回は筆ペンですが、それでも筆を持つことなどめったにないので、はじめはとても緊張します。。描きやすい周りから描いていって、最後にお顔を描き、目を入れ、白毫を入れます。

願い事と日付、名前を書き入れて完成。
今回は持ち帰ってきましたが、本来は写経と同様、お寺に奉納します。

写仏には、その時の心の状態や正確が現れるとのこと。
さて、私の観音様にはどんな心が現れていたんでしょうね。。?

Shojin Project
Shojin Projectという曹洞宗の若手のお坊さんたちによるイベント、禅僧茶房に行ってきました。

場所はさと和さんという、長屋を改装したカフェ。おばあちゃんのおうちのような雰囲気です。
イベントでは一階のカフェに僧衣や掛軸を展示し、二階では坐禅や写経体験ができます。

今回は禅僧トークと坐禅に参加してきました。

禅僧トークでは一方的に講演を聞くのではなく、テーブルを囲んで和やかに、対話しながら禅的な生活についてお話をうかがいます。
今日のテーマは禅問答でした。なんだか難しそうなイメージがありますが、常識にとらわれず自由な発想をすることが大切で、そういった広い視座を持つためにも坐禅をするのだそう。私たちもこんな禅的な考え方を普段の生活に取り入れたら、すこしは悩み事からも解放されるかもしれませんね。

坐禅体験では簡単に作法を教わり、短い時間ですが実際に坐ってみます。
真言宗の阿字観では阿字の掛軸を前に置きますが、坐禅では壁に向かいます。それぞれ独特の作法がありますが、左右揺身で真っ直ぐに座る、1m位先の斜め下を見る、半跏あるいは結跏趺坐で法界定印を結ぶなど、基本はほぼ同じです。ヨガでもスッカ・アーサナ(安楽坐)やパドマ・アーサナ(蓮華坐)で座りますね。

若く熱心な禅僧さんたちとお話しできて、とても楽しく禅に親しめるイベントでした。

禅僧茶房は3月7日まで。
その後も駒澤大学禅研究館にて坐禅教室が定期的に開かれるようです。

駒沢坐禅教室

空海とヨガ密教
空海とヨガ密教
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小林 良彰
学習研究社


前回の阿字観でも書きましたが、日本に最初にヨガを伝えたのは空海だと言われています。ですが、それについての資料や研究書はあまりなく、はっきりしたことはわかっていないようです。

『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』という経典もあり、高野山にヨガの思想が伝わっていることは間違いないのですが、空海さんも一般に「ヨガ」と認識されているアーサナ(ポーズ)を行っていたのでしょうか。。?
この問題に取り組んでいるのが、『空海とヨガ密教』です。

著者の主張は2点。


  1. 空海生誕の地は善通寺ではなく、母方の仏母院である

  2. 現代に伝わる自彊術は空海の行っていたアーサナである

着想はおもしろいのですが、著者がもともと仏教の専門家でもなく、ヨガを学んでいるわけでもないためか、論拠に乏しく、憶測ばかりでトンデモ本に分類されるような内容。。そこもつきつめてくれればいいのですが、半分以上は普通の空海伝と密教史。
学術書ではなく、謎解き読み物としてどうぞ。

自彊術については、実際に体験してみるしかないですねー。
イラストなんかを見る限りでは、ウルドゥワ・ムカ・シュワーナ(上向きの犬)とかパスチモッターナ(前屈)とそっくりなポーズがあるみたいですよ。

090303_ajikan.jpg最近インド思想ばかりやっていましたが、今週は日本仏教ウィークです。

今日は川口市の大徳寺さん主催の阿字観ヨーガ教室に参加してきました。
といっても、参加者は私一人。マンツーマンで教えていただき、なんだかお得でした。

阿字観とは真言宗の瞑想法で、写真のような月輪の中に蓮と「阿」の梵字が浮かぶ図を見つめながら行います。
詳しくは 真言宗豊山派:おつとめ 〜阿字観〜 を。

阿字観を体験するのは今回が2回目。1回目は高野山大学で教えてもらったのですが、眠くて大変でした。。今回もかなり雑念が行ったり来たりしましたが、眠らなかっただけ進歩でしょうか。

瞑想に入る前に清浄(しょうじょう)体操という簡単な準備運動があるのですが、これがインドヨーガのアーサナ(ポーズ)とよく似ている。というか、源流は同じですから、れっきとしたヨーガです。

日本に初めてヨガを伝えたのは弘法大師空海だとも言われています。
最近では、高野山のお寺でヨガのリトリートを行う企画も見かけますね。
現代日本人と古代インド思想のギャップを埋める鍵が、真言密教にはあるように思います。

空海の招来した経典の中に『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』というのがあるのですが、「瑜伽」はヨーガのこと。真言密教版ヨーガ・スートラといえそうですが、内容は愛染明王の霊験について書かれていたりと、インドのヨーガ経典の一つであるパタンジャリの『ヨーガ・スートラ』とは全く関係がなさそうです。残念。

空海がどんなヨガを行っていたのか、知りたいですね。

090122_dogen.gif道元禅師の生涯を描いた映画『禅 ZEN』を見てきました。
禅宗にはあまり詳しくなくて、坐禅をしたこともありませんが。。
禅は西洋でも"Zen"としてライフスタイルやデザイン様式の一つのように受け入れられています。
只管打坐。ただひたすら座る。このシンプルさが、いいんでしょうね。

この映画には、恋をしてしまうお坊さんがでてきます。
道元を尊敬する若きイケメン坊主俊了と、やはり道元に救われて仏門を目指す元遊女のおりん。
この二人のエピソードは全くのフィクションなんですが。。淡々とした道元の生涯に対して、揺れる一般人を代表するドラマチックな役回りとなっています。

おりんに欲情を感じ、道元に「色欲の鬼が棲みついてしまいました」と告白して寺を去る俊了。
お坊さんだって人間。異性との交流に心ときめくことぐらいあるだろうに。。まぁ、いきなり襲いかかったのはマズいけど。真面目すぎて抑圧が大きかったようで、なんだかかわいそうです。それに対して、人生の修羅場を経験してきたおりんの方が冷静で、愛が大きかった。

現代のお坊さんは普通に恋愛もするし結婚もする。
釈尊は在家の信者を認めていたのだから、仏教徒は恋愛禁止というわけじゃない。
禁止したら、誰もついてこないでしょうね。。
というぐらい人間にとって精神の糧となる恋愛ですが、もちろん修行僧がこれにうつつを抜かせば堕落にもつながりやすい。純粋に相手を想っていたはずが、いつのまにか執着している。執着すれば欲になる。

道元さんとはあんまり関係ないですが。。
お坊さんと恋の問題。興味深いです。


『三教指帰』は、弘法大師空海が24歳の頃、大学を辞めて仏教の道に進むにあたって、その決意と仏教の優位性を説いた著作です。中国へ渡って密教を修める前のことですから、その依って立つところは大乗仏教です。
実際には、24歳の時に書いた『聾瞽指帰』を、入唐の後に修正したものと見られています。

この角川ソフィア文庫版には、平易な現代語訳と読み下し文に、空海の生涯についての簡単な解説がついています。
三幕の戯曲形式で、難しいものではなく、あっというまに読めてしまいます。

兎角公の放蕩息子、蛭牙公子を、儒者の亀毛先生、道士の虚亡隠士が次々に説教するが、最後には仏僧の仮名乞児に全員が教化される、という内容。

儒教や道教を完全に否定しているわけではなく、両者の特徴をよくつかんだ上で、仏教を最善とし、空海自らの進む道の正しさを明らかにしようとしています。

若かりし空海の早熟な文才と思想の一端を垣間みることができる、興味深い書物です。

0811_koyasan1.jpg11月半ば、高野山へ登ってきました。
これで今年四度目、はからずも高野山の四季を見ることになりました。

といっても高野山の冬の訪れは下界より早く、長い。
すでに紅葉の季節も終わりにさしかかり、ところどころに鮮やかな赤を残すのみ。
それでも、四度のうちでも最も観光客でにぎわい、華やかに見えました。

高野山は、弘法大師空海の開いた真言宗の総本山。山の上の仏教都市。
世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部にもなっています。

0811_koyasan4.jpg高野山にはホテルがありません。
宿坊といって、お寺の中に留めていただきます。

私は決まって普門院というお寺にお世話になっています。
ここには珍しく、リゾート地のような洋室の特別室があります。宿坊としてはお高めですが、軟弱な都会者の山への一人旅、唯一ほっとくつろげる場所なのです。

お料理はもちろん精進ですが、品数も多く手が込んでいて、おいしくて満腹になるくらい。
檜風呂で旅の疲れを癒したら、お部屋で写経をすることも。

0811_koyasan3.jpg朝は早くからお勤めに参加し、冷え込むお堂に正座して、住職の背中を見ながら理趣経を聞きます。きのうは作務衣姿でお風呂や食事の世話をしてくれた若い坊主さんたちも法衣を纏って現れると、その厳かな衣擦れの音にどきりとしてしまいます。

帰りにはいつもおみやげをいただきます。毎回違って、小さなお守りだっり腕輪念珠だったり。
優しい関西弁に送られ、心身ともにすっきりと洗われて、お山を後にするのでした。

# お山へはいつも大学院の用事で行くのであまり時間はとれないのですが、毎回すこしずつお寺や名所を回っています。

今回は霊宝館を訪ね、素晴らしい深沙大将像に出会いました。そして、次回こそは学文路の刈萱堂に人魚のミイラを見に行きたい。。

shrek.jpg最近、何かのTV番組で、何年も毛を刈られずにいてもこもこになってしまった羊が、ついに毛を刈られてすっきりした、というニュースを立て続けに二件見かけました。こういう個性的な羊はどこにでもいるようで、数年ごとに同様のニュースにお目にかかります。

左の写真は2004年当時、6年ぶりに捕まえられて一躍有名羊となったニュージーランドのシュレック君。ありがたいほど見事なその姿、五劫の永きにわたって思惟を続け、髪が伸び放題でアフロヘアのようになってしまった姿を現したという稀代の奇仏、五劫思惟阿弥陀如来のようではありませんか。。

gokoushiyui.jpg五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀の作例は、日本国内に十数体しか存在していないそうです。左は東大寺の重文 五刧思惟阿弥陀如来坐像。「劫」とは仏教用語で長い時間を現す単位で、一劫は、天人が三年に一度舞い降り、四十里四方の岩を衣で撫で、その岩が擦り切れてなくなるまでの時間。阿弥陀如来は、その五倍の五劫という永遠ともいえる時間を衆生救済のために思惟し続けたといいます。

本来、羊の毛は季節ごとに生え変わっていくので、刈らなければ伸び放題になる、なんてことはありません。滑稽な姿に見えますが、要するに、人間の都合による品種改良の結果なのです。。

修学旅行生達よ、五劫思惟阿弥陀の前で笑っている場合ではない。その姿は、我々人間が手に負えない存在である証拠ではないか。

数年にわたって人の手を逃れてきた五劫思惟羊。人間の強欲を戒めるために降臨した阿弥陀如来の化身、というわけではないと思いますが、笑われているのは、こちらなのかもしれませんね。

祖父が死んだ。

子供の頃、死が怖かった。
自分の死も怖かったけれど、身近な人の死はもっと怖かった。
死んだらどうなるのか、わからなかったから。
ドラマや映画の中で見る死は、切なく美しく、とても悲しかった。

実際は、人が死ねばすぐに葬儀屋さんがやってきて、日取りを決めたり、棺を選んだり、人に知らせたり、お金の相談をしたり、悲しむひまもない。

葬儀が始まれば、つぎつぎと参列者がやってくる。
たった数日のうちに、どうやってこれだけの人に知らせたのかと思う。

僧侶の上げる経を聞きながら、親族らしく頭を下げる。
葬式がやたらに形式ばっているのは、忙しくさせて悲しみを減らす仕組みなのかと思う。
悲しみを呼び起こすのは、人が故人を語る言葉だけ。

はじめて身近な人の死に接したのは、叔父の葬式だった。
変な化粧をされた叔父の棺をのぞくのが怖かった。

火葬場で、叔父が骨になって出てくるのを待った。
もうこれで生身の姿を二度と見ることはないのだと思うと不安になった。

けれどすべてが終わったとき、なんだかちょっと安心していた。
死はこんな風に片付けられるのだな、と思った。
こんな風に終わるのだと知っていたら、そんなに怖くないのだと思った。

死は死者にだけふりかかるものではない。
生きている人からも何かを奪っていく。

火葬場で、祖父が骨になって出てくるのを待った。
叔父のときと同じように、骨はけっこう残っていた。
叔父のときと同じように、係員が淡々と説明をしていた。
「みなさんよく喉仏というのは喉にあると思ってらっしゃいますが、実はこれは第2頚椎で...」
覗き込んで聞いていたら、骨粉を吸い込んでくしゃみをしてしまった。

やっぱり死はこんな風に片付けられるのだな、と思って、少し安心した。


熊谷 惠雲 (vivian)
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