[book]アーカイブ

やさしく学ぶYOGA哲学- バガヴァッドギーター (YOGA BOOKS)
向井田みお
アンダー・ザ・ライト ヨガスクール

敬愛する向井田みお先生のご著書がついに出版されます♪
ヨガを深く学ぶ方なら必携の『バガヴァッドギーター』を、ヨガスクールの先生という立場から、とても分かりやすく解説した本です。
難しいインド哲学用語も、自然に身に付くように工夫されています。
(なんとなんと、私が装丁・レイアウトしています。)

出版元のアンダー・ザ・ライト ヨガスクールでは、こんなお得な企画も。。

【書籍付き】10/18 (日)/出版記念 90分でわかる「やさしく学ぶYoga哲学- バガヴァッド・ギーター」
http://www.underthelight.jp/news/2009/09/1018_90yoga.html

仏教対人心理学読本
仏教対人心理学読本
posted with amazlet at 09.09.19
小池龍之介
サンガ


9月18日金曜の夜、新月読寺訪問がてら、小池龍之介様の法話を聴きに行ってまいりました。

今回の法話の内容は、
「2009年9月25日発売予定の『対人仏教心理学~「無我」の純粋交際マニュアル~』を、Amazon.co.jpで予約し、サンガのキャンペーン応募ページ(2009年9月24日(木)24:00締め切り)でご応募された方全員に、小池龍之介氏による法話(30分程度)とパーリ語によるお経の音声ファイルを株式会社サンガよりプレゼントいたします」
とのこと。

とてもわかりやすくって、ためになる内容でしたから、皆様ぜひご予約のうえ応募されたし。
私などは、自分のことかと思うような実例が出てきてどぎまぎ。。

あ、もちろん私も応募しましたよ。

サンガ
http://www.samgha.co.jp/

煩悩リセット稽古帖
煩悩リセット稽古帖
posted with amazlet at 09.08.20
小池 龍之介
ディスカヴァー・トゥエンティワン


7月7日満月の夕べ、月読寺へ初参禅に行って参りました。

ご住職の小池龍之介さんは若い人向けにわかりやすく仏教を説いた本を何冊も出しておられ、坐禅教室は毎回満員でなかなか予約もとれないのです。

煩悩リセット稽古帳』は、月読寺のサイトで連載されている仏道4コママンガとその解説をまとめた本です。小池さん自らクーピーで描かれているイラストがとっても可愛く、楽しく読んでいるうちに仏道の基本が身に付いてしまうという素晴らしい本です。

本格的でありながらわかりやすく、日々の生活の中で実践できることがたくさんあります。
本の内容を心に留めながら一日自分の心を観察していると、心とはこんなにもすぐに揺れ動くのだなぁと、はじめはがっかりしながら、だんだん冷静に眺められるようになってまいります。

すぐに煩悩をなくせるわけではないけれど、煩悩に気づくことで防げるトラブルは多いなと感じるのでした。

月読寺
http://iede.cc/t/


生物学者ライアル・ワトソンの『Gifts of Unknown Thing』は、フィクションともノンフィクションともつかないサイエンス・ファンタジーです。「百匹目の猿」で有名な著者ですから、実体験と科学的見地に基づく創作なのでしょう。

著者は地図にない島「ヌス・タリアン」で、少女ティアとの交流を通して、自然とともに生きる島の人々の文化に触れていきます。

上陸前夜、著者を乗せた船は、夜の海で不思議な光に囲まれます。光の正体は海の中から浮かび上がってきた何百というイカの群れ。イカ達は一つの意思を持つかのように、船の様子をうかがい、あるまとまりをもって光り、動き、一斉に闇に消えます。

イカの脳は、そのハイスペッックな目に対して、あまりにも単純だといいます。イカ達は、その目に映した膨大な情報を一体どうしているのでしょうか?
著者は、イカ達が地球の観察者なのではないかと考えます。そして、我々人間も地球という知的システムの一部だというのです。

このすばらしいシステムの中で真に魅惑的で衝撃的なことは、われわれひとりひとりの中に「イカ的なるもの」がある、ということである。 (村田恵子訳『未知の贈りもの 』 p.42)

中沢新一氏は『イカの哲学』の中で、『未知の贈りもの』からこの「イカ的なもの」という言葉を引き、何度も繰り返しています。
なんともインパクトのある言葉で、『未知の贈りもの』の解説者もこの言葉を引いていますが、実は原書では「there is something of the squid in each of us.」とさらっと書かれていて、カッコもついていなかったのです。それが、「イカ的」という妙な語感とカッコのおかげで、邦訳ではとても印象的な言葉となっています。

集合的無意識の可能性について提唱したのは心理学者のユングですが、夢や直感の中に個人の脳を超えたつながりがあるというのは、古来人々が感じてきたことです。
それは「シンクロニシティ」と呼ばれたり、「超能力」だと考えられたり、「気」で説明しようとする人もいれば「偶然」で片付けたい人もいる(玄侑宗久vs有田秀穂『禅と脳』)という、あやふやなものです。
生命と生命の間には、未だ解明されていないネットワークがあるのかもしれません(「百匹目の猿」は捏造でしたが。。)。


この物語の中でもう一つ印象的な現象が、「共感覚」です。
ティアをはじめ、島の子供達はみな言葉や音に色を感じ、それを当然の事として共通の認識を持っています。著者はティアの持つ予知能力が、この感覚融合に関係があると考えます。

共感覚とは、文字に色を感じたり、形に匂いを感じたりといった、ある刺激に対して同時に別の感覚を持つという特殊な知覚のことで、これを持つ人は、驚異的な記憶力や絶対音感といった天才的能力を発揮する事があります。
共感覚は神経や脳の異常とされていますが、赤ちゃんの頃には誰もが持っているとも言われています。この未分化で鋭敏な感覚が、常人の感じられない物を感じとるために、超能力のようにも見えるのです。


ヌス・タリアンには、現代の我々が失ってしまったものがたくさんあります。
ただ自然回帰ということではなく、まず、我々も「イカ的なもの」を持つ地球の一部であるという認識をもつことが、本来の生命力を取り戻す鍵なのかもしれませんね。

イカの哲学 (集英社新書 0430)
中沢 新一 波多野 一郎
集英社
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太平洋戦争の特攻隊の生き残りで、在野の哲学者であった波多野一郎は、『烏賊の哲学』というとても変わった、とても短い哲学書を残しました。
児童書のような平易な文章で、自身の分身である「大助君」が夏のアルバイトを通して世界平和へのアイディアを得る、という物語です。
現在は本文より長い中沢新一の解説つきで、『イカの哲学』としてこれを読むことができます。

大助君はカリフォルニアのイカ冷凍処理工場でひたすら大量のイカと向き合ううちに、イカの命、イカの実存というものを感じるようになります。
イカを大量に捕獲するのは、食べるため。では、人はなぜ戦争で人をたくさん殺すのか?

大助君は、人間が戦争をするのは、思想という実体のない物に捕われて、相手の実存を感じていないからだ、という考えに至ります。仏教徒が動物を食べないのは、動物の実存を感じて憐れみをもっているから。

「相異なった文化を持って、相異なった社会に住む人々がお互いの実存に触れ合うということが世界平和の鍵なのであります(p.61)」
そして、人間以外の生命を尊重しない単なるヒューマニズムでは、戦争を止めるには不十分だというのです。

波多野一郎がこのような境地に至る事ができたのは、皮肉なことですが、戦争で死を目前にするという極限体験をしてきたからでもあります。


イカというのは不思議な生き物です。
ライアル・ワトソンは『未知の贈りもの 』の冒頭で、イカの不思議な生態について語っています。海上でのイカとの邂逅を通じて、知的生物は地球という知的システムの一部だという考えに至るくだりは、『イカの哲学』に通じる物があります。

真の平和のためには、我々は地球というエコシステムの一部だという事を、もっと感じる必要があるのでしょう。

禅的生活
禅的生活
posted with amazlet at 09.05.26
玄侑 宗久
筑摩書房


臨済宗の住職で、芥川賞作家でもある玄侑宗久氏の『禅的生活』。犬のナムと猫のタマを引き合いに出しながら、気楽な語り口で生活に生きる禅を解説しています。
読者は禅語のシャワーを浴びながら、悟りの世界を覗き見し、また日常生活に戻ってきます。

とにかく難しい禅用語がどんどん出てくる。仏教や禅についての前知識がないと、一読では面食らうばかりかもしれません。おまけに、玄侑さんは科学者的視点も持っていますから、脳科学的な話もでてきちゃいます。(このあたりは、『禅と脳―「禅的生活」が脳と身体にいい理由』でさらに詳しく掘り下げられています。)

けれど、何度も開いているうちに気になる言葉もでてくるし、禅僧の風流な歌が心にとまったりします。

たとえば「一切唯心造」。人は自分の妄想(もうぞう)がつくりだした世界を見ているだけだと言う、シビアな『華厳経』の言葉。
チベット仏教僧心理学者も、同じことを言っていましたね。だからといってその妄想から簡単には離れられないのが我々凡夫なわけですが。。

坐禅によって目指すのは、一物もない、曇りのない心。
それが、「本来の面目」とか「無位の真人」といわれるものなんですね。

アブラクサスの祭
玄侑さんは、小説作品でも仏教と人の心の問題を取り扱っています。
受賞後第一作『アブラクサスの祭』は、なんと躁鬱病でロッカーな坊さんの話です。ナムという犬も登場します。
主人公の浄念の心は、「一切は唯だ心の造りしものなり」と念じながらも妄想にゆれています。躁鬱の薬を飲むのをやめ、「ありのままの脳」で生きる浄念は、ライブの恍惚の中、異教の神霊アブラクサスの啓示を受けます。「おまえはそのままで正しい」と。(『20世紀少年』で"ともだち"も山さんに言ってましたけど。。)


無限の可能性を持つ「無位の真人」である自分。けれど揺れ動く存在である自分。
全てを「風流」と受け入れてしまう『禅的生活』のヒントがつまった本です。


白隠禅師・夜船閑話『夜船閑話』 の本文は、禅病に悩んだ白隠禅師が白幽子の噂を聞きつける所からはじまります。

白幽子は教えを請う白隠に、道教や『易経』の考え方に基づく古代中国医学の身体観を延々と説明します。これが面白いのだけれど一読では分かりづらい。
要は、心臓は火の性質を持っていて昇りやすいので、腹式呼吸によってしずめ、頭寒足熱にすることが大切ということです。

さらに天台の『摩訶止観』に書かれた呼吸法や道元さんの故事など様々な例をあげ、内観によって心火をしずめ気を丹田から足の裏に集中することの重要性を説いています。

中でも、酥を用いる方法が心身の疲れを癒してくれるのだとか。

【軟酥の法】


  • 鴨の卵くらいの大きさの、すばらしく良い香りで美味な軟酥(古代の乳製品。牛乳を煮詰めたクリームのようなもの)を頭の上に置いたとイメージする。

  • それが溶けて次第に頭を潤し、だんだん肩、肘、胸、腹、背骨から腰骨とおりてきて、心とともに、水が流れるように病も下に流れる。
    流れは全身を巡り、両足を暖かく潤し、足の裏で止まる。

  • 暖かい酥の流れに浸ることは、世の良医の素晴らしい香りの薬を集め、煎じたもので半身浴をしているようなものだと考える。

これを実践すれば心身が若々しく快適になり、内蔵が良くなり、お肌はつやつやに。
あらゆる病が治るだけでなく、徳が積まれ、どんな道も成就できるんだとか。。

イメージ療法ですが、ちょっと考えただけでもなんだか気持ちが良さそうですね。
心は真実ではない妄想によって容易に苦しむものですが、逆に良いイメージは身体を癒してくれるというわけです。

そして、ここが一番重要なのですが。。
これらの内観法によって健康を取り戻したら、いよいよ(禅の)修行に取り組まなければなりません。健康で長生きになっても、何も成さなければ意味がないのですから。

#
今日も、成瀬先生の指導で序文の内観法を実践してきました。
四句を繰り返しながら丹田に意識を集中していると、自然と足腰が暖かくなり、のぼせていた心火が下がる心地がします。お試しあれ。

090510_hakuin.jpg江戸中期の臨済宗の名僧、白隠慧鶴禅師。
書画も達者で、達磨図などの味のある禅画も多数残しています。

その著書『夜船閑話』は、公案工夫(禅問答)をしすぎて、いわゆる禅病(ノイローゼになり、のぼせ、手足の冷え、耳鳴り等がおこる)にかかった者のための健康法を説いたものです。
自らも禅病に悩んだ白隠が、京都の白川に仙人白幽子を訪ね教えを請う、という物語の体裁をとっています。

『夜船閑話』では「内観法」と「軟蘇の法」の二つが説かれているのですが、禅の修行者だけでなく、現代人の心の病にも大いに効果が期待できそうです。

健康法という観点でいろいろな解説書がでていますが、原文にふれるなら、詳しい注と現代語訳のついた伊豆山 格堂著『白隠禅師・夜船閑話』がおすすめです。

【内観法】
しばらくは公案工夫をやめ、まずは熟睡して目覚めること。
横になって目を閉じる前に、足をしっかり伸ばし、気を臍の下の丹田から腰、脚、足裏に集中させる。
次の三句(異本では四句)を念ずる。(答えを考えるのではなく、集中する。)


  • 我が此の気海丹田、腰脚足心、総に是れ我が本来の面目、面目何の鼻孔かある。

  • (我が此の気海丹田、総に是れ我が本文の家郷、家郷何の消息かある。)

  • 我が此の気海丹田、総に是れ我が唯心の浄土、浄土何の荘厳かある。

  • 我が此の気海丹田、総に是れ我が己身の弥陀、弥陀何の法をか説く。

早くて、5~7日、遅くても2〜3週間で効果が現れるとのこと。
眠る前に少し集中するだけですから、毎日続けられそうですね。

私ははじめこの内観法を、成瀬貴良先生からシャバ・アーサナ(ヨーガのポーズの終わりに横たわる、死体のポーズ)の際に教えていただきました。

実はこの「内観法」、『夜船閑話』の序文に書かれているだけなのです。
後編では、本文に書かれたもう一つの「軟蘇の法」をご紹介します。

対象喪失―悲しむということ (中公新書 (557))
小此木 啓吾
中央公論新社

「生から死に至るまで人生は対象喪失の繰り返しである。(p.192)」

"対象喪失"とは、愛情や依存の対象を失うこと。その悲しみをどう体験し、解決していくのか。

心理学解説書でありながら、多くのエピソードで読みやすく、読み物としてもすぐれた本です。
はしばしに心に刺さる、けれど示唆に富んだ言葉がちりばめられています。1979年の発行ですが、その言葉はまったく色あせていません。
悲しみにうちのめされて自分を見失いそうな時、自分の心の中で何が起きているのか、落ち着いて見つめ直すきっかけをくれる本です。

対象喪失の中で最も大きなものは、言うまでもなく愛する人の死です。そして失恋はもちろん、仕事を失ったり、目標を失ったり、役割や環境が変わったりすることも対象喪失の一つです。
私たちは日々、対象喪失を経験しているのです。

対象喪失が苦痛なのは、対象がすでに自分の一部となっているために、自己のアイデンティティーまで喪失してしまう危険があるからです。
私たちはそれとは知らず、他人や環境に期待を寄せ、依存して暮らしています。そしてそれが裏切られると、幻滅や脱錯覚というような、内的喪失を経験します。
けれど、「いかに多くの人間の営みが、この種の錯覚現象であることか(p.40)」!

先日のバリー・カーズィン博士の講演の中にも、見かけと現実とのギャップが苦しみにつながるというお話がありました。
対象の本質は何も変わっていないにもかかわらず、自分の気持ちの中だけで喪失を起こしてしまうのです。

そして、失った対象を想ったり、うらんだり、悔やんだりしながら、悲哀の過程をたどり、少しずつ心を整理して、受け入れていく。
これをフロイトは"悲哀の仕事"と呼びました。「この仕事を一つ一つ達成することなしには、真の心の平安を得ることはできない(p.46)」のです。

我々はその苦しみに耐えられず、無関心を装ったり、逃避に走るなどの防衛反応を起こしたりして、この心の営みを中断してしまうことがあります。日常は変わらずに続いており、目の前の社会に適応していかなければならないからです。

けれど、この悲哀のプロセスを達成せずにいると、後になって心身の病を起こすこともあります。「人間の悩みというものは、悩みぬかれて解決されない限り永劫にくり返される。(p.45)」のです。

私たちは少なくとも1年の間、このプロセスを様々な形で経験するとされています。
喪に服するという習慣も、意味のないことではないのです。

悲しむ能力があるというのは大切なこと。それが自然な心の営みなのです。
自分の内面と向きあうには、ある程度のゆとりが必要です。忙しい現代社会の中では、悲しみを悲しみとして感じられず、気づかぬうちに変調をきたす人も多いといいます。


私はまだ、親しい人を亡くした経験はありません。
小さな対象喪失への対処にも苦しむ日々です。。
この先、"悲哀の仕事"をしなければならない時には、きっとこの本が助けになってくれることでしょう。


表紙の奇妙な造形のロボットとサブタイトルに惹かれて購入した永瀬 唯 『肉体のヌートピア―ロボット、パワード・スーツ、サイボーグの考古学』。"蒸気につづく電気の時代、見えない光線が支配する新しい魔法の時代。人は既存の身体イメージを解体し、新たなる肉体の風景を描き出した。からくり人形、ロボット、サイボーグ、パワード・スーツ......機械身体をめぐる近代史。"とのこと。

「ロボット」という言葉を作ったカレル・チャペックの『R.U.R.』やリラダンの『未来のイヴ』といったヨーロッパの古典にも触れられているのですが、後半はほぼアメリカのSF史で、文章もなんだかハヤカワの翻訳調。

SFの古典はよく知らなかったのですが、いわゆるタコ型火星人の出典であるH・G・ウェルズの『宇宙戦争』や、アニメ『攻殻機動隊』に登場する関西弁の箱形サイボーグ「ジェイムスン社長」の元になった、ニール・R・ジョーンズの「ジェイムスン教授」シリーズはちょっと読んでみたくなりました。

ホムンクルス(人造人間)として創造されたロボットと、人体の拡張であるパワードスーツやサイボーグ。『ロボットの天才』で見た夢と希望に満ちたロボットたちとは異なる、人の歪んだ欲望の表れとしての機械身体に焦点をあてている書です。


ちなみに表紙は檜山巽さんという女性のCGアーティストの作品だったようです。
人体とカエルを合わせたような造形が、なんともいえない不気味な魅力です。

ロボットの天才
ロボットの天才
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ロボットクリエイター・高橋智隆
メディアファクトリー


イケメンロボットクリエーター、高橋智隆氏のロボット開発史。
タイトル通り『ロボットの天才』な高橋氏のマニアックな物作りへの愛には感銘を受けます。

日記のようなカジュアルな文体で、歯に衣着せぬ物言いが面白い本です。
学歴を人生の裏技と言い切り、「背伸びしてでも高い「公的評価」を得ておけば、その後の人生がぐっと楽になる」(p.82)とか、「普通の人がみんなで力を合わせてがんばって何かを成す『プロジェクトX』的な話は嫌いだ」(p.200)とか、思っても普通言わないようなことを平気で書いて嫌味にならないのは、ご本人が成功者であるにもかかわらず、いい力の抜け具合だからでしょうか。。

巻頭には歴代ロボットたちのカラー写真がたくさん掲載されています。
仕事場である京大キャンパスで我が子(クロイノ)とたわむれるほのぼのショットがたまりません。

高橋氏のロボットには技術的に優れた点があるのはもちろんですが、最大の特徴は、往年のロボットアニメをモチーフにしながらも洗練されたデザイン。レトロで可愛いらしく、親しみが持てるその姿。ロボットは人間の代わりに仕事をしてくれる便利な道具ではなく、家族の一員になり得る存在なんだと思わせてくれます。

高橋氏の一人企業、ロボ・ガレージのサイトでは、ロボット達のムービーを見ることができます。(オリジナルロボットの他、鉄人28号やタチコマくんまで!!!)

ロボ・ガレージ
http://www.robo-garage.com/

空海とヨガ密教
空海とヨガ密教
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小林 良彰
学習研究社


前回の阿字観でも書きましたが、日本に最初にヨガを伝えたのは空海だと言われています。ですが、それについての資料や研究書はあまりなく、はっきりしたことはわかっていないようです。

『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』という経典もあり、高野山にヨガの思想が伝わっていることは間違いないのですが、空海さんも一般に「ヨガ」と認識されているアーサナ(ポーズ)を行っていたのでしょうか。。?
この問題に取り組んでいるのが、『空海とヨガ密教』です。

著者の主張は2点。


  1. 空海生誕の地は善通寺ではなく、母方の仏母院である

  2. 現代に伝わる自彊術は空海の行っていたアーサナである

着想はおもしろいのですが、著者がもともと仏教の専門家でもなく、ヨガを学んでいるわけでもないためか、論拠に乏しく、憶測ばかりでトンデモ本に分類されるような内容。。そこもつきつめてくれればいいのですが、半分以上は普通の空海伝と密教史。
学術書ではなく、謎解き読み物としてどうぞ。

自彊術については、実際に体験してみるしかないですねー。
イラストなんかを見る限りでは、ウルドゥワ・ムカ・シュワーナ(上向きの犬)とかパスチモッターナ(前屈)とそっくりなポーズがあるみたいですよ。

いまに生きるインドの叡智―ヨーガの源流から現代の聖者まで
成瀬 貴良
善本社
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タイトルと表紙が売れなそうな雰囲気を醸し出している 、『いまに生きるインドの叡智』。

しかし内容は、偏りのない客観的な立場でインドとヨーガの歴史をよくまとめてあり、教科書的に全体を俯瞰するには非常に良い本です。

特に第一部と第二部は、用語や概念の出典と変遷についてもていねいに追われており、参考文献の紹介も詳しいので、学術的にもレファレンスとしてかなり参考になります。

第一部はヴェーダとウパニシャッドまで。これと辻直四郎の『ウパニシャッド』を読めば、各種ウパニシャッドの特徴はだいたいつかめるので、次に全訳を読んでみたいものも絞れてきます。(高いんですけどね。。)

第二部はヨーガの経典類。ヨーガを学ぶ上で必要な用語は大体網羅され、よくまとめられています。マニアックな所では、経典ごとの登場アーサナ名一覧が興味深いです。

第三部は近代のグルと呼ばれるヨーガ行者達の略伝になっています。このあたりはほとんど知らなかったので、概要をつかむのに役立ちました。読み物として楽しめます。

指定図書でなければ手に取らなかったであろう良書。
古本で買ったらサイン本だったので、大事にしたいと思います。

#追記(2009.5.10)
その後、成瀬先生にお会いし、改めてサインをいただきました。なんと前のサインから10年が経っています!家宝です。(表紙が今風でないのは10年前の本だからですねっ。ごめんなさいごめんなさい、、)
今はすっかり先生のファンで、ハタ・ヨーガを師事させていただいています。

CLAMPもこなのオキモノキモノ
CLAMPもこな
河出書房新社


漫画家グループCLAMPのメンバー、もこなさんの着物スタイルブックです。
もこなさんは普段から着物生活をしておられるようで、仕事のときも着物を着ているんだとか。

表紙のせいで手に取らない人もいるんじゃないかと思いますが、中身はコスプレみたいな格好ばかりってわけではなく、意外とセンス良く参考になるものもあります。

紹介されているのは、いわゆる美しい豪華な着物姿ではなく、着慣れた人の普段のおしゃれ着姿。決まりにとらわれず、洋服感覚で自由にコーディネートしています。
アンティークが多いようで、レトロで可愛い柄や珍しい柄のものもあって、コレクションをみているだけでも楽しい。

着付けの基本が載っているわけではないので、初心者の方は着物の世界に足を踏み入れるきっかけに。きちんと自分で着られる方は遊び心を入れるときの参考に。

私もアンティークが好きで、普段着物を目指してはいますが、なかなか毎日とは行きません。
群ようこさんが365日着物を着て日記を書く『きもの365日 』というエッセイがありましたが、完全に企画倒れのお粗末な内容でしたし(ほとんど着てないんです)。。

着物には決まりが多くて難しいし、お金がかかる。というのは、残念ながら事実です。
でもそれは、洋服をおしゃれに着こなすのと同じ程度に、です。
着慣れてしまえば、コーディネートは洋服より楽なこともある。でも、やっぱり洋服よりも注目されるので、小物選びには最新の注意を払います。

着物を着ていくと「今日何かあるの?」と言われることが多いですが、そんなこと言われなくなるぐらい、あたりまえに着物を着る日々を送りたいものです。

着物と女の人生を感じる2冊のご紹介です。

きもの歳時記 (平凡社ライブラリー (242))山下 悦子『きもの歳時記』は季節と着物と女の人生をからめたエッセイ集。著者は伝統的な着物文化に造形が深く、着物文化史を知るうえでも興味深い一冊。辛い経験もされてきたようで、文章には哀愁と、怨念と言えるほどの着物への愛着を感じます。

「きもの」は女の味方です。 もっと知りたい、魅力と着こなし PHP文庫 (PHP文庫)一方、森 荷葉『「きもの」は女の味方です。 - もっと知りたい、魅力と着こなし』は、伝統をやぶって自由に着物を楽しもうという姿勢の、かなり実践的な内容。自身の恋愛経験ともからめて、若い女性の着物への興味を誘っています。

どちらも幼い頃からたくさんの着物に囲まれて育ち、結婚をし、離婚を経験して着物の道で自立してきた女性。

着物を着慣れた女が色っぽく見えるのは、自己意識が高くて、人生経験も豊富だから。。なのかなぁ。

Angels & Demons (Robert Langdon)
Angels & Demons
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Dan Brown
Pocket Star


ノーベル物理学賞関連のテレビ番組を見ていたら、スイスとフランスの国境をまたぐ陽子加速装置の話題が出ていて、二年ぐらい前に読んだサスペンス小説『Angels & Demons』(ダン・ブラウン『天使と悪魔』)のことを思い出しました。『ダヴィンチ・コード』の前のお話ですね。

事件はこの装置のある実在の施設CERNで科学者が殺され、加速器によって生み出された反物質が盗み出されるところから始まります。ラングドン教授と共に謎を追うヒロインは、殺された科学者の娘でなのですが、父親と共に研究を完成させた科学者であり、CERN内のハタ・ヨーガのグルである、と紹介されます。
この時に、学者でヨーガ・グルってなんだかカッコいい。。と思ったのが、ヨーガの指導者資格をとろうと思ったきっかけだったのでした。そういえば。

宗教と科学という重要な問題を扱いながら、『ダヴィンチ・コード』と同様オカルトや美術ネタがいっぱいで、マニアにはたまらない内容となっております。

CERNといえばWeb発祥の地だしね。。施設内体験ツアーとかあるらしいので、いつか行ってみたいです。



『三教指帰』は、弘法大師空海が24歳の頃、大学を辞めて仏教の道に進むにあたって、その決意と仏教の優位性を説いた著作です。中国へ渡って密教を修める前のことですから、その依って立つところは大乗仏教です。
実際には、24歳の時に書いた『聾瞽指帰』を、入唐の後に修正したものと見られています。

この角川ソフィア文庫版には、平易な現代語訳と読み下し文に、空海の生涯についての簡単な解説がついています。
三幕の戯曲形式で、難しいものではなく、あっというまに読めてしまいます。

兎角公の放蕩息子、蛭牙公子を、儒者の亀毛先生、道士の虚亡隠士が次々に説教するが、最後には仏僧の仮名乞児に全員が教化される、という内容。

儒教や道教を完全に否定しているわけではなく、両者の特徴をよくつかんだ上で、仏教を最善とし、空海自らの進む道の正しさを明らかにしようとしています。

若かりし空海の早熟な文才と思想の一端を垣間みることができる、興味深い書物です。

健康系の本を続けて2冊読みました。『病気にならない生き方 -ミラクル・エンザイムが寿命を決める-』と『若々しい人 老ける人―人生を楽しむオプティマル・ヘルスのすすめ』です。

病気にならない生き方 -ミラクル・エンザイムが寿命を決める-病気にならない生き方』は2年くらい前にだいぶ流行った本ですが、食習慣の常識をくつがえし、胃腸をきれいにして健康になろうというもの。
仮説が多く、批判もあるようですが、著者で胃腸内視鏡外科医である新谷弘実氏は70歳を超えても若々しくつやっつやのお肌。。その仮説も膨大な臨床経験に基づくものなので、一概に根拠がないからとしりぞけることはないかもしれません。
新谷説の独自な所は、食事の前にフルーツを食べることと、食間にたくさんの水を飲むこと。
しかし、基本的には新鮮な果物や野菜を食べ、肉やお酒を控え、精製していない穀物を食べる、という点は、アーユルヴェーダ本の食物の章に書いてあったことと共通しますし、マクロビオティックとも似ています。結局健康的な食習慣と言うのは、昔からの食事なんでしょうかね。


若々しい人 老ける人―人生を楽しむオプティマル・ヘルスのすすめ若々しい人 老ける人』は、『私をつくった名著 人生を変えた1冊 黄金のブックガイド』でリッツカールトンの社長さんがおすすめしていました。
現代人が食事とともにサプリメントを摂ることの重要性と正しい取り方について書かれています。こちらの著者佐藤富雄氏もやはり70を超えてバイタリティあふれる生活をされています。
佐藤氏の説では、肉を食べても、サプリメントで毒性を打ち消せるんだとか。お酒も少量なら健康に良いとすすめています。

それぞれの説はまったく別の観点から書かれたもので、一致しない点も多々ありますが、共通しているのは、現代の野菜には栄養素が不足しているのでサプリメントで補った方が良い、ということ。フルフォード博士の『いのちの輝き』にも同様のことが書かれていました。

現代はもはや、昔ながらの"健康的な食事"だけではダメなんですね。。

岩波文庫の『バガヴァッド・ギーター』を訳した上村勝彦氏によるギーター解説本です。

面白いのは、インド文学者である上村氏が天台宗の僧籍も持っており、大乗仏教とギーターに多くの共通点を見いだし、その比較を交えながらの解説になっていることです。

ギーターの説く梵我一如の思想は、大乗仏教の如来蔵思想、本覚思想に受け継がれています。大乗経典『涅槃経』や本学思想を説く『真如観』には、ギーターと酷似した内容がいくつもあるのです。

けれど、仏教にもインド哲学にもなじみがない人には、かえって混乱してしまう内容かもしれません。
大乗仏教からみたギーターであることを強調するサブタイトルがついていたら、もっと本当に興味がある人が手に取るのではないかと思うのですが。もったいない。。


ヴェーダ文献の研究で著名な辻直四郎氏のウパニシャッド概説。ウパニシャッドの成り立ちと特色を、分かりやすく流麗な文体で解き明かしています。多くを原典に語らせ、中立的立場をとりながらも学者としての確かな意見を述べる手法は、先のJ.ゴンダ氏の『インド思想史』にも通じる信頼感をあたえます。

ウパニシャッドは紀元前約600~300年という長い間に個々に成立してきたため、全体としての一貫性に欠けるとしながらも、その教義の中で「大宇宙の本源を尋ねて到達したブラフマンすなわち梵(brahman)と、個人の本体として識得されたアートマンすなわち我(atman)とを最も重要な概念」と認め、「一元的世界観」を特徴とするウパニシャッド哲学の核心を簡潔に言い表しています(p.41)。

巻末にウパニシャッドの中でも最古層のブリハッド・アーラニヤカ、チャーンドーギヤ、カウシータキの抄訳がついており、つまみ食い的に雰囲気を味わうことができます。

Prakriti: Your Ayurvedic Constitution
Robert E. Suoboda
Sadhana Pubns
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古代インドの医学、アーユルヴェーダの概要を知っておこうと思い、西洋人で初めてアーユルヴェーダ大学を卒業したというDr. Svoboda の 『Prakriti: Your Ayurvedic Constitution』を読んでみました。

重要なコンセプトは太字で箇条書きにまとめてあったりするので、ざっと読んだだけでも大体の枠組みはつかめるようになっています。

アーユルヴェーダでは、サーンキヤ哲学の提唱した五大元素、地・水・火・風・空を、三つのドーシャという性質に分け、これらの性質の現れによって個人の体質を見ます。

Vata - 風、空
Pitta - 水、火
Kapa - 地、水

二つのドーシャが複合的に現れる場合もあります。私はかなりVataに近いようです。

それぞれの外見や性格上の特徴、体質に合った食べ物や生活習慣などが詳しく書かれているので、どれが自分に当てはまるかなー、と考えながら読んでいると、けっこう夢中になってしまいます。現代人の生活に合った内容になっているので、インドの哲学にそれほど興味がなくても、楽しく読めるようになっています。(イラストもかなり中途半端な"西洋からみたインド"で、専門性よりは読みやすさ、受け入れやすさを目指しているのがわかります。)

最後の章には、それぞれのドーシャを受け入れて許し、幸せに生きるようにとのメッセージがあります。古代の智慧ですから現代医学的裏付けはありませんが、健康番組に振り回されるよりは、バランスのとれた生活を送るヒントになるかもしれません。

インド思想史 (岩波文庫)
J. ゴンダ
岩波書店

各宗派、学派の成り立ちを、その業績と問題点とともに優劣なく簡潔にまとめた良書。
中庸的立場で原典に依りながらも、確固たる知識に基づいて私見を述べていて好感が持てます。読みやすい入門書でありながら、研究者にとっても示唆に富むガイドブックとなっています。

内容はヴェーダ、ブラーフマナ、ウパニシャッド、ジャイナ教、仏教(小乗、大乗)、マハーバーラタ、バガヴァッドギーター、サーンキヤ、ヨーガ、唯物論、と順に概説しています。

巻末のインド思想史年表も非常に便利。
前半のみの訳だというのが残念ですが、インドを源流とする主要な思想の成り立ちと相関を偏見なく概観するには、かなりおすすめできる一冊です。

『童神』は、表題作「童神」をはじめとする、増田みず子氏の寓話的味わいを持った小説を集めた短編集だ。中学生か高校生の頃、その不思議な装丁画にひかれて手に取り愛蔵していたが、いつのまにか手放してしまっていた。その装丁画が17世紀の博物学者アタナシウス・キルヒャーの『シナ図説』から引用された「パゴダ」と「プサ」の図版だと知ったのは、だいぶ後のことである。

「パゴダ」は、十階建ての塔のてっぺんに、なにやら人形のようなものをのせた図版である。「プサ」は、大きくて肉厚の南国的な花の中に、太陽の顔を持つ神が布をまとってどっしりと座っている。どちらも幻想的な情景だが、実は大真面目な研究書のために描かれた仏塔と仏像の図なのである。キルヒャーは自ら中国へ渡ったことはなく、報告書や手紙を元に図版を作成したために、このような不可思議な姿になってしまったのであろう。『シナ図説』には、こんな西洋人の勘違いから生まれた興味深い銅版画が豊富に掲載されている。

高丘親王航海記 (文春文庫)大学生になって、やはり装丁が気に入って購入し、愛読書の一つとなった澁澤龍彦氏の『高丘親王航海記』も、単行本、文庫版ともに『シナ図説』の銅版画を装丁に使用していた。しかしいずれもその出典をあきらかにしていなかったため、すべてがつながるまでにはまだ少し待たなくてはならない。

キルヒャーの世界図鑑―よみがえる普遍の夢さらに時が経って、ジョスリン・ゴドウィン氏によるキルヒャー研究の日本語訳、『キルヒャーの世界図鑑』を手に入れた。ご丁寧に澁澤龍彦氏による解説まで付されている。『童神』と同じく「パゴダ」と「プサ」の2枚を装丁に配した『キルヒャーの世界図鑑』を眺めるたび、当時は気づきもしなかったわけだが、結果的にキルヒャーと出会うきっかけを与えてくれた、あの小説集のことが思い出された。

小説の内容はキルヒャーとは全く関わりはなかった。なんとなく憶えているのは、幼くして姫神に選ばれて神殿に暮らす少女が、塔の窓越しに少年と出会い、大人になることを知って神殿を出てゆく物語だということである。しかし、その表紙に描かれた異形の神の姿と、近寄りがたい空虚さを湛えた塔は、まるではじめからこの物語のために描かれたように、日常から切り離された日々を過ごす少女の情景と重なっていた。装丁師は何を思ってこの絵を選んだのだろうか。書き手と描き手、イメージをつないだ装丁師と誘われた読み手。想像の中の異国の神への憧憬が、その根底にはあるように思える。

ちなみに、初潮前の少女が生き神として祭り上げられるモチーフは、ネパールの少女神クマリの伝統を思わせる。増田氏がこのあたりから着想を得たことは間違いないだろう。少女を選ぶ過程は、チベット仏教におけるダライ・ラマの生まれ変わりを探す手続きともよく似ている。

最近になってこの本がすでに絶版となっていることを知り、急いで古書店から手に入れた。記憶に違わず、表紙にはキルヒャーの勘違いから生まれた「プサ」が鎮座していた。大人になってあらためて読んでみれば、その異様な「プサ」の姿が見るものに与える不安感に較べれば、他愛のない、優しい物語であった。人の一生に較べれば、姫神の時間は短い。少女はその後、人間らしい日々を生きるのだろう。

そしてなんのことはない、『童神』も『高丘親王航海記』も、装丁は同じ菊池信義氏が手がけたものであることにたった今気がついて、出会うべくして出会ったその必然性に、なんだか拍子抜けしてしまったのである。

幻想博物誌
幻想博物誌 (1983年)
posted with amazlet on 07.06.15
渋沢 竜彦
河出書房新社 (1983/10)

中学生の頃、澁澤龍彦氏のオカルト系エッセイに夢中になっていたことがある。河出書房の文庫版のシリーズで、魔術的な図版の表紙や『黒魔術の手帖』といったような秘密めいたタイトル、手になじむサイズと手ごろな薄さも好きだった。
それも最近は手に入りにくくなったり、装丁が変わってしまったりしているようで、いくつか手放してしまったのが悔やまれる。

内容の概略については、著者の言葉を引用したい。

本書『幻想博物誌』は1975年1月号から1976年12月号まで、2年間(24回)にわたって雑誌「野性時代」に連載されたものである。博物誌といっても、ここに採りあげたのはもっぱら動物で、その動物も、神話や伝説に登場する架空の動物から実在の動物にいたるまで、種々雑多である。

どんなものが取り上げられているかと言えば、例えばスキタイの羊。スキヤポデス。セイレーンにクラーケン。かと思えば、蟻に象にドードー鳥など、よく知られた動物も登場する。彼らとて、かつては不思議な習性があると信じられ、伝説を持っていたのだ。

著者はただ興味の対象としてこれらの動物たちを紹介しているだけでなく、なぜそのような伝説が生まれるに至ったかまでを、独自の視点で考察している。膨大な知識に裏づけられながらも、気軽に読めるエッセイである。

ここに登場する動植物は、現代のファンタジーのようにただ読む者を驚かせるために創られたわけではなく、中世以前には実在すると信じられ、歴史家や博物学者が大真面目に記録してきたものなのだ。
著者が敬愛し、この本でもしばしば引用されるプリニウス然り、である。

澁澤氏の幻想小説を読むと、氏のエッセイ群に登場するイメージによく出会う。
それも、あからさまな怪物ではなく、渦巻きやら、左巻きの貝やら、玉や香りなどのイメージの繰り返しや、魂と異世界との共感のような、シンボリックな類似性として現れることが多い。

かつて怪物がいたとかいないとか、そんなことではなく、人類の深層に共通してあるイメージが神話や怪異譚を生んでいることをよく理解しながら、それを愛している人なのである。

夢魔の幻獣辞典 (角川ホラー文庫)
井上 雅彦
角川書店
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陳腐なタイトルではあるが、表紙のイラストと、帯の「それはもう、憑いている」というおかしなコピーにひかれて手に取った。

四眷属十二種の幻獣たちをテーマにした、ちょっとダークな短編集である。一篇がひとつの幻獣・幻植物をモチーフにしているため、ショートストーリーを楽しみながら、幻想の生き物に思いを馳せることもできる、というお手軽なアンソロジーだ。

幻獣のランナップを見ると、どうやら自分と似たような読書暦を持つ人なのではないかとも思う。
たとえば、オアンネス、スキタイの羊、カトブレパス。
「ヒトニグサ」というのは聞いたことがなかったが、どうりで、現代の創作物だそうだ。

内容は、ちょっとセンチメンタルに過ぎるような気もするが、以前好きでよく見ていたテレビ番組『世にも奇妙な物語』(フジテレビ製作。1話15分、1回3話のオムニバス)を思わせる、日常の隣に潜む魔を描いた、なんともやりきれない味わいの小品たちだ。

「幻獣」の部分を求めすぎるとまったく喰い足りないが、気軽な文庫でにショート・ホラーを楽しむつもりなら、ちょっとした空き時間に異世界を見せてくれることだろう。

070527_booksAmazonから本が届きました。
持ち歩いて読める手頃な物をと、手元になかった澁澤龍彦氏の文庫版短編集をいくつか注文していたのでした。

いつもながら注文から到着までがとても早く、検索の便利さと寄り道させるしくみから言っても、現実の書店とはまた違った良さがあります。ほとんど見つからない本はないくらいだし、気になる言葉で検索していると思わぬ出会いがあったりもする。他の人が書いた評判を見て、よし買おうと思ったり、やめてしまったりもする。Amazonのなかを探検するのは、宝探しのようでとても楽しい。

けれど、私は大切なことを忘れていたのです。
本は、知識欲を満たす情報の集まり、というだけではない。所有欲をも満たすオブジェだったのです。

Amazonの箱をあけて、本を取り出し、そのカバーを見たとたん、がっかりしてしまいました。
説明に新装版、などと書いてあったので、あぁ、前のとは違うのだな。。と思ってはいたけれど。。
カバーの表はそんなに大きく変わったわけでもないのだが、あろうことか背表紙が、白からどぎつい黄色に変わっていたのです! 過去に手に入れた同シリーズのものと並べると、なんと浮いていることか。

え?背表紙?と思うでしょうか?
実際に書店で本を手に取って探すとき、売り出し中の新刊でないかぎり、見るのはその背表紙。持ち帰って本棚に入れれば、見えるのは背表紙だけ。お気に入りの本ばかりが並んだ自分の部屋の本棚に、自分の嫌いな色の本があったらどうでしょう?

本棚は、部屋の壁の大きな面を占領しているはずです。そこに並んださまざまな大きさ、色の本は、その人の趣味嗜好をよくあらわす一枚の絵を構成しているのではないでしょうか。

レコードやCDにはジャケ買い、という言葉がありますが、それは本にだってあてはまるのです。
自分の好みの外装をした本は、自分の好みの内容を備えていることが多いものです。昔から、読んでみたいと思った本でも、実際に買うのはよほど外装の気に入った本だけでした。表紙、背表紙、紙の質感と色合い。。幼少の頃からの本好きにしては蔵書が少ないのは、そのせいもあるでしょう。本をジャンルではなく、背表紙の色で分類して並べていたこともあるぐらいです。
ちなみに私はあのべろべろとした帯というものも嫌いで、よっぽどいい文章が書いてあるか、きれいな紙を使って本の一部になっているかしないかぎり、商業的なメッセージのものはさっさと捨ててしまいます。

読んで面白ければいい、そういう人もいるでしょう。一度読んで終わりの本ならそれもいい。
けれど、わざわざ買って手元に置こうという本は、見た目も中身もすばらしい、全体が完成された一つの作品であって欲しい。
と、いったら、わがままでしょうか?

前日島目上の人に逆らいたい。目上の人だから逆らいたい。逆らう気はないのに、つい自分の考えを主張して声を荒げてしまう。。誰にでもありますよね、そんなとき。

つい最近、ウンベルト・エーコの「前日島」を読んでいました(邦訳です、もちろん)。舞台はバロックな大航海時代なのですが、現代のビジネスや人間関係にも通用するような教訓や心理学に基づいた交渉術がいっぱいで、妙に参考になります。

さてその中で、田舎者で経験の浅い主人公・ロベルトが、処世術を伝授される場面があります。
人の話に割り込んでばかりいるロベルトに、年長のサラサールはこう諭します。"目上に反論すれば、自分の立場を危険にさらすことになる。能ある鷹は爪を隠すもので、容易に本心を見せてはいけない。。"

それじゃ、自分を偽って、正しいことでもだまっていなくちゃいけないの?!ロベルトならずとも、そう反論したくなりますよね(この時点でロベルトはさっそく目上に反論していますが。。)。でも、そういうことではないんです。

「自画自賛は虚栄の心でしかなく、己を貶すは愚かなり。」

つまり、一時の虚栄心のために行動してはいけない、ということです。相手が間違っていたら、ついその場で大声で指摘したくなる。でも、それは必ずしも、あなたの明晰さを示しはしないのです。クライアントが間違っているからといって、その場で揚げ足を取って、あなたの仕事は成功するでしょうか??

無能に見える上司(失礼)にたてつく前に、一呼吸置いてみてはどうでしょう。自分が本当に賢く振舞えるように。。


1冊の手帳で夢は必ずかなう
最近ビジネス書にはまっています。
ビジネス書、というと堅そうですが、元気な企業の大物社長たち自らが語るサクセスストーリー、といったら、読んでみたくなりませんか??

百式田口さんのケータイメルマガ東京ブックに、熊谷正寿さんの「一冊の手帳で夢は必ずかなう」からのネタが配信されていたことがありました。"手帳"から勝手にオジサンをイメージしていたのですが。。熊谷氏のWebログ「クマガイコム」を見てびっくり!うーん。こんな若くて笑顔のステキな方だったんですね。。しかもプロフィールに大注目です。(・д・)ジドー

蟹座O型!!
私ともっとも相性のいい蟹座O型じゃーないですか。(by友人の占い師)
これは何かの縁だ。(←勝手)

最近アナログ手帳を持ってみようか(現在LVのカバーをつけたPalm愛用。)という計画もあったので、ちょっと本をのぞいてみることにしました。
中身は、単なる手帳を使った仕事術だけではありません。熊谷氏の経営理念、というより生き方の信念がちりばめられていて、なかなか奥深いです。なにより、こんな風に夢をどんどんかなえていけるなら、手帳をつくってみたーい!!と思ってしまいます。

私はこのWebログ上に「目標フォルダ」「予定フォルダ」「達成フォルダ」を置いていますが、実はこんな冗談みたいなものでもすでに効果がでているんです。。もっと緻密な計画を立ててみたらおもしろそう。さて、かっこいい手帳を買いに行こ~♪

最近「The Lord of the Rings -the fellowship of the ring」を読み始めました。

子供のころ(今もですが)ファンタジーが大好きで、いつもエンデとか、ナルニアとか読んでいたのですが、なぜか「指輪物語」だけは手を出さずにいたのです。

。。なぜでしょうね。名作として有名すぎたから?子供には長かったから?
もしかしたら、主人公が「ホビット」だったからかも。。
小人かよ!みたいな。

そしてオトナになった今。
映画「ロード・オブ・ザ・リング」がヒットし、もう3作目を上映中。。なのに、これもまた手をだしていなかったのです。

。。なぜでしょうね。流行りすぎだから?MATRIXで3部作には懲りたから?
もしかしたら、イライジャ・ウッドの顔がダメだからかも。。
小人顔かよ!みたいな。

そしてそんな子供時代の心残りを回収すべく、まぁオトナだから原書かな?なんて読み始めたのはいいんですが。。キャラ多い!地名多い!地図頭に入らない!映像でみるとどんななんだ??と、思ってしまい、第1部のDVDを借りてきてしまったわけです。回収しすぎですね。
しかし、映像で見たらもっとイメージがわくだろうというのは当然として、映画のイメージがついてしまったら自分のイメージの入り込む余地がなくなってしまうんじゃないか、という懸念もあり、映像化不可能といわれてきた名作の真価を感じられなくなりそうで、見てしまっていいのかなー?という思いもあり。。
まぁ、1作だけね。。ちょっとちら見させてね。。

ところで、原作は"ロード・オブ・ザ・リング"じゃなくて"ザ・ロード・オブ・ザ・リングス"なんですね。最近の映画邦題ってまんま英語のカタカナ表記で工夫がないなぁと思うんですけど、そのカタカナも中途半端だったりして、よけい意味がわかりませんね。いっそ原題のままにしてください。でなきゃ「指輪物語」でいいです。

ところで、ペーパーバックって、映画化されると表紙が全部ハリウッドスターの写真になってしまうのって、なんとかならないですかね。元のバージョン探すの大変だったりします。本は本のイメージのままで大事にしてもらいたいですね。


熊谷 惠雲 (vivian)
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