専門知識を持たない多くの人にとって、仏像はどれも同じに見える。せいぜい、如来形と菩薩形の違いくらいで、どれがどの仏であるかはほとんど分からない。これらの仏たちを区別するのが、その持物である。
宗教画において、描かれる人物や神に、それぞれ特有の持物、アトリビュートを持たせるのは普通に行われていることである。持物はそれを持つ者の性質や歴史を物語ると同時に、それが誰であるかを明示する記号でもある。
初期仏教においては、釈尊の姿が図像化されることはなかった。図像で表わされるようになったのは入滅後のことであり、それも法輪やストゥーパ、仏足石などのシンボルによってであった。
人の姿をした仏像がつくられるようになったのは紀元1世紀頃、ギリシアやペルシアの影響を受けたガンダーラ美術や、インドの土俗的な特徴を示すマトゥラー美術においてである。釈尊の入滅からおよそ5世紀を経た後のことだ。つまり、これらの仏像が釈尊その人の身体的特徴を正しく表わしている可能性はほとんどないのである。その尊容は儀軌によって三十二相八十種の特徴を備えると定められているが、これらの特徴は、作られた像が仏像であることを示す約束事でしかない。仏像は釈尊の肖像ととらえるよりも、人型のシンボルととらえるのが正しいのである。
インド密教美術の最大の特徴は、一旦はシンボルから人物へと変わった仏像が、再びシンボルへ、それも無数のシンボルへと変わっていったことである。
密教の時代にあっても、当初は釈尊をはじめとする古くからの代表的な数種の仏像しか作られていなかった。それがある時点から、像容が画一化され、仏像の種類は爆発的に増える。描き分けを放棄してしまったようにも思える。その間のギャップは一体なんであろうか。
密教において仏が一気に増えたのは、ヒンドゥー教の影響だという説明がなされることがある。実際、ヒンドゥー教から天として取り込まれたものも多い。しかし、密教仏が増えたのは、マンダラ儀礼の登場に依るところが大きいという(※1)。ヒンドゥー教の神々が、長い歴史とたくさんの物語を持つ土着の神を取り込んで増えて行ったことと、儀礼上の要請から、個性を持たない仏たちが観念的に増やされていったこととは、根本的に異なっているのである。
文献に名前だけで登場する膨大な仏たちをどう表現するか。密教において、全ての仏は大日如来の性質の表れであるという。もとより物語など持たないのである。名前を書く以外に表現のしようがない。そこで、シンボルという名札をつける方法を見つけたのではないだろうか。
シンボルだけで仏を表わしたものを三昧耶形というが、語源であるサンスクリットの「サマヤ(samaya)」は「約束」や「決まり事」を意味し、これが記号であることをはっきりと示している。
古代エジプトの絵画における神々は、どれも同じ様な体型と、体幹は正面、顔と手足は横向きという独特の立ち姿、あるいは玉座に腰掛けた姿で表わされ、それぞれを区別するのはその身体に載せられた動物や人間の顔と、やはり持物である、ように見える。しかし、事情は密教仏とはかなり異なっている。エジプトの神は多くの場合、同一の神でも動物型と人型など、複数の姿で表わされる。時代や地域によっては、逆に異なる神が同じ姿で表わされたり、元の持物に加えて他の神の持物を持ったりと、神々の同一視や合体がしばしば行われ、図像上の表現は非常に混乱している。それでも神々の名を言い当てることが出来たのは、多くの場合、側に象形文字で名前が書いてあったからである。
密教仏たちは、自身が象形文字となることで、そのアイデンティティを獲得し、逆説的に個性を失った。絵による文字という文化をもつ古代エジプトにおいて、神々自身がシンボル化の道をたどらなかったのは、不思議なことにも思える。しかし、無数の表現があるということは、逆に固有の姿を持たないということであり、そこにはやはり名前だけが残るのである。
釈尊という一仏から出発し、爆発的な増殖の後、また大日如来という一仏へと還った仏たち。どれも同じに見えるのは当然のことであり、また、正しいことなのかもしれない。
※1 森雅秀「密教仏の形成」, シルクロード・奈良国際シンポジウム2007 記録集 No.9 『インド世界への憧れ』, p.90
※上記考察に加え、古くからの仏が画一化された理由として、そもそも形式的表現がインド美術の特徴である点も考慮する必要がある。
2009/8/13 高野山大学院 インド密教美術レポートとして (担当:森雅秀教授)
2010/7/8 加筆修正



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