『対象喪失―悲しむということ』 小此木 啓吾

対象喪失―悲しむということ (中公新書 (557))
小此木 啓吾
中央公論新社

「生から死に至るまで人生は対象喪失の繰り返しである。(p.192)」

"対象喪失"とは、愛情や依存の対象を失うこと。その悲しみをどう体験し、解決していくのか。

心理学解説書でありながら、多くのエピソードで読みやすく、読み物としてもすぐれた本です。
はしばしに心に刺さる、けれど示唆に富んだ言葉がちりばめられています。1979年の発行ですが、その言葉はまったく色あせていません。
悲しみにうちのめされて自分を見失いそうな時、自分の心の中で何が起きているのか、落ち着いて見つめ直すきっかけをくれる本です。

対象喪失の中で最も大きなものは、言うまでもなく愛する人の死です。そして失恋はもちろん、仕事を失ったり、目標を失ったり、役割や環境が変わったりすることも対象喪失の一つです。
私たちは日々、対象喪失を経験しているのです。

対象喪失が苦痛なのは、対象がすでに自分の一部となっているために、自己のアイデンティティーまで喪失してしまう危険があるからです。
私たちはそれとは知らず、他人や環境に期待を寄せ、依存して暮らしています。そしてそれが裏切られると、幻滅や脱錯覚というような、内的喪失を経験します。
けれど、「いかに多くの人間の営みが、この種の錯覚現象であることか(p.40)」!

先日のバリー・カーズィン博士の講演の中にも、見かけと現実とのギャップが苦しみにつながるというお話がありました。
対象の本質は何も変わっていないにもかかわらず、自分の気持ちの中だけで喪失を起こしてしまうのです。

そして、失った対象を想ったり、うらんだり、悔やんだりしながら、悲哀の過程をたどり、少しずつ心を整理して、受け入れていく。
これをフロイトは"悲哀の仕事"と呼びました。「この仕事を一つ一つ達成することなしには、真の心の平安を得ることはできない(p.46)」のです。

我々はその苦しみに耐えられず、無関心を装ったり、逃避に走るなどの防衛反応を起こしたりして、この心の営みを中断してしまうことがあります。日常は変わらずに続いており、目の前の社会に適応していかなければならないからです。

けれど、この悲哀のプロセスを達成せずにいると、後になって心身の病を起こすこともあります。「人間の悩みというものは、悩みぬかれて解決されない限り永劫にくり返される。(p.45)」のです。

私たちは少なくとも1年の間、このプロセスを様々な形で経験するとされています。
喪に服するという習慣も、意味のないことではないのです。

悲しむ能力があるというのは大切なこと。それが自然な心の営みなのです。
自分の内面と向きあうには、ある程度のゆとりが必要です。忙しい現代社会の中では、悲しみを悲しみとして感じられず、気づかぬうちに変調をきたす人も多いといいます。


私はまだ、親しい人を亡くした経験はありません。
小さな対象喪失への対処にも苦しむ日々です。。
この先、"悲哀の仕事"をしなければならない時には、きっとこの本が助けになってくれることでしょう。

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