『童神』は、表題作「童神」をはじめとする、増田みず子氏の寓話的味わいを持った小説を集めた短編集だ。中学生か高校生の頃、その不思議な装丁画にひかれて手に取り愛蔵していたが、いつのまにか手放してしまっていた。その装丁画が17世紀の博物学者アタナシウス・キルヒャーの『シナ図説』から引用された「パゴダ」と「プサ」の図版だと知ったのは、だいぶ後のことである。
「パゴダ」は、十階建ての塔のてっぺんに、なにやら人形のようなものをのせた図版である。「プサ」は、大きくて肉厚の南国的な花の中に、太陽の顔を持つ神が布をまとってどっしりと座っている。どちらも幻想的な情景だが、実は大真面目な研究書のために描かれた仏塔と仏像の図なのである。キルヒャーは自ら中国へ渡ったことはなく、報告書や手紙を元に図版を作成したために、このような不可思議な姿になってしまったのであろう。『シナ図説』には、こんな西洋人の勘違いから生まれた興味深い銅版画が豊富に掲載されている。
大学生になって、やはり装丁が気に入って購入し、愛読書の一つとなった澁澤龍彦氏の『高丘親王航海記』も、単行本、文庫版ともに『シナ図説』の銅版画を装丁に使用していた。しかしいずれもその出典をあきらかにしていなかったため、すべてがつながるまでにはまだ少し待たなくてはならない。
さらに時が経って、ジョスリン・ゴドウィン氏によるキルヒャー研究の日本語訳、『キルヒャーの世界図鑑』を手に入れた。ご丁寧に澁澤龍彦氏による解説まで付されている。『童神』と同じく「パゴダ」と「プサ」の2枚を装丁に配した『キルヒャーの世界図鑑』を眺めるたび、当時は気づきもしなかったわけだが、結果的にキルヒャーと出会うきっかけを与えてくれた、あの小説集のことが思い出された。
小説の内容はキルヒャーとは全く関わりはなかった。なんとなく憶えているのは、幼くして姫神に選ばれて神殿に暮らす少女が、塔の窓越しに少年と出会い、大人になることを知って神殿を出てゆく物語だということである。しかし、その表紙に描かれた異形の神の姿と、近寄りがたい空虚さを湛えた塔は、まるではじめからこの物語のために描かれたように、日常から切り離された日々を過ごす少女の情景と重なっていた。装丁師は何を思ってこの絵を選んだのだろうか。書き手と描き手、イメージをつないだ装丁師と誘われた読み手。想像の中の異国の神への憧憬が、その根底にはあるように思える。
ちなみに、初潮前の少女が生き神として祭り上げられるモチーフは、ネパールの少女神クマリの伝統を思わせる。増田氏がこのあたりから着想を得たことは間違いないだろう。少女を選ぶ過程は、チベット仏教におけるダライ・ラマの生まれ変わりを探す手続きともよく似ている。
最近になってこの本がすでに絶版となっていることを知り、急いで古書店から手に入れた。記憶に違わず、表紙にはキルヒャーの勘違いから生まれた「プサ」が鎮座していた。大人になってあらためて読んでみれば、その異様な「プサ」の姿が見るものに与える不安感に較べれば、他愛のない、優しい物語であった。人の一生に較べれば、姫神の時間は短い。少女はその後、人間らしい日々を生きるのだろう。
そしてなんのことはない、『童神』も『高丘親王航海記』も、装丁は同じ菊池信義氏が手がけたものであることにたった今気がついて、出会うべくして出会ったその必然性に、なんだか拍子抜けしてしまったのである。



コメントする